第五章  色褪せゆく季節

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


IX



 ……ちょうど、あの戦いが終わった頃からだろうか。
 ゼルドパイツァーに対するセリカの反応が、何処かよそよそしいものになっていた。
「セリカさん」
「あっ……」

  タタタタタタタタタタッ……。

 と、このように古城の廊下ですれ違ったゼルドパイツァーが、ただ挨拶をしようとしただけで、セリカは顔を背けて駆け出していく始末である。
 これは食事の時も同様で、セリカはわざとゼルドパイツァーに顔を会わせないようにと、時間差をつけて食堂に来る始末である。
 ――そう、あの日の戦い以来、ゼルドパイツァーはセリカに避けられていた。
 それも、完全に。
「……オレ、何かしたっけ?」
 日頃から悪事を繰り返すゼルドパイツァーにとって、その胸に手を当てて考えてみるほど、無意味なことはなかった。洪水のように溢れだす悪事の数々が、ますます己を混乱させるだけなのだから。
「まさか、嫌われているのではッ!?」
 まず初めに抱くべき疑問に、今更になって思い当たったゼルドパイツァーの額を冷たい汗が伝った。
 ……この疑問が頭に張り付いてからというもの、その思いは二乗して増大していき、ゼルドパイツァーの快食快眠の日々を妨げた。
 そうして、いわゆる『眠れない日々』というヤツが一週間も続き、それに比例するようにゼルドパイツァーの瞼の皮が弛んでいった。
 頬は痩け、顔からは血の気が引いた。
 ……割り切りさえすれば、効果的なダイエット法ではある。
「痩せてどーすんじゃあッ!! ……はあはあ、このままだと、一月後には珍味・ゼルドパイツァーのするめの出来上がりだぜッ!」
 と、意を決したゼルドパイツァーは、普段セリカが閉じ篭もっている古城の執務室に、半ば強引に押し掛けたのだった。
 単純なだけに思いついたら行動に移すのは誰よりも早い。

  トントン……。

「セリカさん、いらっしゃいますかぁ?」
 ……だがこれが、今のゼルドパイツァーの、精一杯の『強引』だった。
 扉を打った後、僅かな沈黙が流れると、中からこういった短い返事がポツリと返ってきた。
「……いません」
「い、いるじゃないですかぁぁぁあああッ!!!」
 セリカのつれない返事に、ゼルドパイツァーは絶叫してドアノブに手を掛けた。
 ――どうやら、鍵は掛かっていないらしい。

  ガチャ!

「ひいっ!!」
 勢いに任せてゼルドパイツァーが室内に押し入ると、セリカは慌てて机上に広げられていた何かを隠した。
「ゼ、ゼルドパイツァーさん、……な、何か御用ですか!?」
 そのセリカの取り乱しようは、尋常なものではなかった。
 普段、物静かなセリカからは想像も出来ない慌てようで、ゼルドパイツァーと視線を合わせまいと、反射的にセリカは俯いてしまう。
「……セリカさん」
 ゼルドパイツァーの言葉に反応するように、セリカはビクッと肩を窄めた。
 ……そして、ゼルドパイツァーが机の方へと近付くにつれ、さらに深くセリカは頭を垂れる。
 ゼルドパイツァーはそのただならぬセリカの様子に、ますます不安にさせられた。
 この一歩、一歩が、『嫌われた』という確信に近付くような思いで、ゼルドパイツァーには、その足取りがとても重く感じられたのだ。
「セリカさん、……もしかしてオレ、嫌われてます?」
 ゼルドパイツァーはセリカが縦に首を振って、その言葉を肯定するのが恐ろしかった。
 しかし、セリカは俯いたままで、首を横に振った。――この時、ゼルドパイツァーの顔から緊張が消え、その口元から息が漏れた。
「ふうっ……」
「――わ、私、……考えたら、凄くとんでもないことをしてました。戦いの時の、……ア、アレは勢いだったんです、わ、忘れて下さい、」
 セリカは俯いた姿勢のまま、吃り口調でゼルドパイツァーにそう告げた。
 鈍さ百万倍のゼルドパイツァーには、セリカの言う『アレ』の意味が全くわからなかった。
 それでセリカにこう問い返す。
「アレって、何です?」
 疑問をすぐ口に出すというのも、ゼルドパイツァーらしい浅はかさでもある。
 その無神経さが、今のセリカを一層押し黙らせる結果となってしまった。
「………」
「………………」
「………………………」
 長い沈黙は、ゼルドパイツァーを苛立たせるよりも、不安にさせる。
 ……そして今はただ、セリカがもう一度口を開くのをじっと待つことにした。
「……そうですよね、私が一人で先走っちゃってるだけですよね。……でも、初めてだったんです。死ぬって考えたら、何だかそんな気になっちゃって。全然、後のことなんて考えてなかったんです。――人間たちの間ではどうなっているのかは知りませんが、でも精霊人にとっては大切な、その、契りの儀式の一つであって、ですね……。わ、私、何を言ってるんでしょう、」
 そう言って、セリカはそっと自分の唇に指先を当てた。
「あっ……」
 セリカにここまで言わせて、ゼルドパイツァーは初めてアレが何だったのかに気付いた。
 そして、鈍さ百億倍の己の無神経さを呪った。
「セリカさん、あの時のキ、キ、キ、キッ、す、ス、スのことで、ずっと……」
 その、あまりのセリカの純情さに、ゼルドパイツァーはガラにもなく赤面してしまう。 と同時に胸の奥が熱く脈打ち、全身に駆け巡る血がゼルドパイツァーの声を震わせた。
「子供じみてますよね、……でも、私」
 そう言ってゼルドパイツァーを見上げるセリカの顔は、まるで夕焼けにでも照らされたかの様に赤く染まっていた。
 ……それはいつもの大人びたセリカの顔ではなく、やり場のない想いに戸惑う少女のような顔だった。
 澄んだ湖水のような、深い透明度を誇るアイスブルーの瞳は大きく見開かれ、薔薇の花弁よりも赤い唇が、言葉を紡ぐ度に震えた。
「私、……きっと見た目より、ずっと子供なんです。男の方は、今まで父しか知りませんでしたし、どう接していいのかわからなかったんです。その、すごく照れ臭くて。――街で暮らしてたゼルドパイツァーさんには、何でもない挨拶程度のことなんですよね。ごめんなさい、私、今までそんな事、考えたこともなかったから、」
「何でもなくはないです……。――オレは、その、『セリカさん命』っスからッ!!!」
 ゼルドパイツァーは頭を掻きながら、セリカに大声でそう告げる。
 ゼルトパイツァーは、この言葉に全身全霊を込めたつもりだったが、意外にもセリカはこれをあっさりと笑い飛ばしてしまった。
「ふふふっ、もう冗談ばっかり。……私が子供みたいだからって、あまりからかわないで下さいね」
「いえ、……別にからかってるわけじゃ、」
「リカディさん、言ってましたよ。言葉は悪いですけど、ケダモノには気をつけろって。何でもリカディさんは、危機一髪だったそうで……」
「………あうぅ、」
 渾身の愛の告白を見事に空かされたゼルドパイツァー。
 セリカは何かがフッ切れたように笑いだすと、その顔にはいつものあの清純な微笑みが戻っていた。
 笑い涙とばかりに人差し指で目頭を拭うセリカの姿にゼルドパイツァーは心のどこかで安心すると、さっき慌ててセリカが机の裏に隠したものの正体を尋ねてみる。
「これですか?」
 セリカは屈託のない笑顔でそれを取り出すと、二つの色の違う毛糸玉と、編みかけのマフラーが出てきた。
「みなさんには内緒ですよ。……冬が厳しくなるまでには編みあげて、みなさんに差し上げようと思ってるんです。ちゃんと、ゼルドパイツァーさんの分もありますから。――ふふふ、それまでは二人だけの秘密ですよ」
 セリカはそう言って、すでに編みあがったチェック柄のマフラーを、ゼルドパイツァーに見せてくれた。
「おおぉ、女の人にマフラーなんか貰うの、オレ初めてっスよッ!! ……実は前に傭兵団で、妙になよなよした男に貰ったことはあるんスけど、ネ。――と、と、とにかく感激っス、セリカさんッ!!!」





「煽てられて何も出さないわけにもいきませんし、……お茶でも入れますね、」
 セリカはにっこり微笑んで、そう言って席を立った。

 机上に置かれたチェック柄の、柔らかそうな毛糸のマフラー。
 それは、身体だけでなく、心まで暖めてくれそうな、そんな編みかけのマフラーだった。
 ……だが、このマフラーがセリカの手から皆に渡される日が来ることは永遠になかった。

  後に『灰の大地の冬』と呼ばれる、その日の戦いによって……。


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