第五章  色褪せゆく季節

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


VII



 城塞都市ガイヤートには大陸最強の冠を欲しいままにする一つの騎士団がある。
 その名は『赤の騎士団』。
 苛烈王直轄にして、剣聖ハイゼン自らが鍛えたこの史上最強の紅き甲冑の騎士団に、出撃命令が下ったのは、ハイゼンが風見の塔を後にして数刻ほど後のことだった。
 その夜のガイヤート城は、この赤の騎士団出撃の命によりにわかに騒然とし、深夜遅くまで城内は緊迫した空気に包まれた。
 およそ王国の切札である赤の騎士団が動くとき、その陣頭に立って剣を振るう者はただ一人。

  それは苛烈王、エリク・レムローズその人である。

 かつての最強の騎士団がドーラベルンの白き獅子、ウィルハルト聖剣王率いる二千の白の騎士団であるなら、現時点でその最強の冠に値する騎士団はこのレムローズ苛烈王直属の赤の騎士、二千に他ならない。
 赤の騎士団の実力が、すでに壊滅した苛烈王の精鋭四個騎士団二万と、互角ともそれ以上とも評されるのには、それなりの理由がある。
 赤の騎士団は、構成される騎士のほとんどがリカディのような、いわゆる魔法剣士であり、剣の技量は剣聖ハイゼンによって極限まで高められている。戦場に魔法剣士が存在するというだけで、その戦いはすでに数のみで語れるものではない。
 一人の赤の騎士(獅子)に率いられた市民兵の群れは、同数の数を揃えた騎士団に匹敵する力を発揮する。
 まさに一騎当千の強者揃いの戦闘集団こそ、この赤の騎士団なのである。その実力は数という物差しでは到底計ることは出来ない。
 彼ら赤の騎士の正義は『忠義』であり、裏切りという言葉は彼らの中には存在しない。
 たとえそれがどんなに馬鹿げた作戦であったとしても、彼らは与えられた任務達成の為に死力を尽くして戦うだろう。
 それはかつて騎士の都と呼ばれた、名高きドーラベルンの都で語られた騎士の信念、『騎士道』に通じるものさえあった。
 もはや敗北を知らぬその赤の騎士団がガイヤートを離れるということは、人々に一つの時代の終わりを確信させるに至る。

 それは、漆黒の魔王の時代……。
 もしくは……言葉にすることがすでに反逆であろうその時代のいずれか。

 不敗の騎士団は不敗のままこの王都に凱旋するのか?
 この歴史的一夜に興奮や緊張をおぼえない者など、少なくともこのガイヤートには居ないだろう。
 いや、例外があるとすればこの戦いのおそらくは主役になるであろうその人物。
 大陸を支配する、漆黒の魔王に成り代わるであろう悪魔、

  苛烈王、エリク・レムローズ。

 騒然とする城内の中、その夜、苛烈王はまるで神隠しにでもあったように自室に引きこもり、一度も姿を現さなかった。
 普段見られる苛烈王の性格であれば、自らが赤の騎士たちの前に立ち、堂々と叱咤激励して彼らの士気を鼓舞するところではあるが。
 ハイゼンもそれが気に掛からなかったわけでもないが、それだけにエリクがこの一戦に賭ける想いはただならぬものがあるのだろうと、この夜、自らは遠征にあたっての執務に専念することとした。
 しかし、その苛烈王の行動の理由はハイゼンの思いもよらぬものに起因していた。

 豪奢に飾られた一室で等身大はある鏡台をじっと右手をついて見つめる苛烈王。
 映し出されるその像は、絶世の美女と比喩すべき美しさである。
 柔らかな赤毛を白い絹地のネグリジェの肩へと垂らしたその美女の表情には、皆に苛烈王として恐れられるその冷酷さなど微塵も感じられなかった。
 赤いルビーの瞳は寂しげに曇り、魂が半分抜け出たような虚ろな雰囲気さえある。
「……私、もう、戻れない」
 エリクの口許から零れた一言は、そんな意外な言葉だった。
「……冷酷な悪魔、人々の憎悪の対象。でも、お兄さまたちはこんな私を天使だと言ってくれた。今でも……お兄さまたちは、私にそういってくれるのかな?」
 エリクは突然、両手で顔を覆い、まるで蹲るかのようにその膝が折れた。
「……私はたくさん殺してしまったの、もうこの手を染める赤い血は拭い去ることなんか出来ないッ」
 指の隙間から鏡を見上げるエリクのルビーの瞳は、言葉を発する度に震えていた。
「戻れないのはわかってる、取り戻せないのもわかってる。……でも、私は戻りたい。お兄さまたちとの、何もかもが輝いて見えたあの日々へ。心を無くしてしまったあの日のことを、後悔しない夜なんて一度も……ない。仮面は私を救う代償として、貪欲にその心を求めてくるから、」
 エリクは力なくそう言ったかと思うと、今度は徐に立ち上がり、鏡に映る二つのルビーの瞳をじっと見据えて、こう口を開いた。





 ……そのルビーの光を放つ二つの瞳からは、決意に満ちたような、意志の強さが感じられる。
「でも、終わらせる。……きっと、終わらせるから。六極神が私をどう操ろうと、もう、人柱は作らせない。私の覚醒への生贄がお兄さまたちだったのはわかってる。そして、私自身が新たなる支配への人柱なのだとも。だから、もう同じ私は作らせない、生贄はもう私一人だけで十分。そして、私は絶対に神を名乗るあいつらを絶対に許さないッ!! ……許さない、から。――アスラフィル……、神が作り上げようとしているその糸の切れないの無敵の操り人形が、六極の神々、彼らの時代を終わらせてくれる。――私、その子を愛するから、お兄さまたちを愛した以上の愛で。私はその子を決して次の私にはしない。そして、その子自身を守る為に、私は神に匹敵する負の力を、その子に与えるの……。それまでは、酷い私を、お兄さまを失ったあの日、愚かにも六極の神々の力に縋ってしまったこの私を……許して、」
 操られる糸がゆるんできていることを、エリクはエリクなりに理解していた。
 僅かな時間だけ完全に取り戻すことが出来る自我。
 しかし、覇気と狂気に操られているその時も、エリクは徐々にその中に自我を取り戻し始めている。
 次第に自我に目覚め始めたエリクは、こうして操られていた苛烈王という自分を、今度は自らがその意志によって演じて見せるようになってゆく。
 それは、反逆の意志を六極の神々に悟らせぬ為の演技。
 天空を支配する神々も、決して全てを見通す千里眼を持つわけではない。
 遠くにあればこそ、地上を見下しているからこそ、それが些細な変化であれば、それを見つけることは、砂漠の中から一粒の砂を探しだすようなものだった。

  翼という天空の鎖も、十余年という歳月の中で、徐々に錆付いてきていた……。


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