第五章 色褪せゆく季節- D A R K F O R C E S -
By.Hikaru Inoue
VI
――城塞都市ガイヤート。
その中心に聳えるガイヤート城の最上階の塔からは、全長三キロにも及ぶ巨大城壁に囲まれた賑々しい城下町も、その先に広がる大平原も、全てがそこから一望出来た。
少し冷えた秋風のこの日。
風見の塔と呼ばれるこの城の塔の先端部分に、大陸の覇者、苛烈王エリク・レムローズの姿はあった。
その石壁の室内には四方に造られた煉瓦の窓が口を開けており、その高さもあってか、絶えることない風が心地よく吹き抜けて来る。
まさにここから、天下の全てが見渡せる。
そんな展望を持ったこの一室で、城の者たちが苛烈王の姿を見かけることも少なくはなかった。
この日も苛烈王は、そこで朝焼けの昇る東の地平を、悠然と見つめていた。
その鮮やかな血の色をした髪に風と光を乗せて。
「余の支配の及ばぬ地が、あの地平の先にはある。……だが、次が最期の冬となる、か。二度とは訪れぬ安楽の季節を夢見て、せいぜい勝利の余韻に浸っているがいい」
苛烈王がそう言い終わるのと同時に、階下からカツ、カツ、カツッと石段を駆け上がる足音が響いてきた。
そして、顔面蒼白のハイゼンが苛烈王の前に姿を現わすと、息も絶え絶え、その苛烈王にこう告げた。
「只今、報せが参りました……。精鋭四個騎士団を含む我ら苛烈王軍二万が、――漆黒の魔王との激戦の末、壊滅した由にございます」
「そうか、壊滅か。……壊滅なのだな?」
ハイゼンの報を聞くや苛烈王は、そう念を押して尋ねた。
「はっ、……僅かに生き延びた者たちが申しますに、空に現われた巨大な竜の放った一発の光弾で、主力部隊は一瞬の内に、跡形もなく消え去ったとのことです。――ロアス卿、ランベル侯爵他、精鋭四個騎士団長を含め、我が王国の中軸をなす諸侯方は皆討ち死に。やはり、我々は火竜の力を侮っていたと……」
そう言って話の先を続けようとするハイゼンに、苛烈王はニヤリと冷たい笑みを浮かべて見せた。
「エリク様、――何が、可笑しいのですか?」
「クククッ……それでよいのだ、ハイゼン。こうなるように仕組んだのは余自身なのだからな」
「なっ!?」
愕然とするハイゼンに向かって、苛烈王は口許をゆるやかに上げてこう語り出した。
「火竜は死んだ、二万の尊き殉死者たちと共にな。……わからぬか? 余は火竜にその栄光を飾るべき最期の戦場を与えてやったのだ。と、同時に余の王国にとって不要な者どもの大量処分も行なった。大陸を支配した今の余に、もうあの者らの力は必要ない。――余に不満を持つ貴族、将軍ども等はいずれ、それを爆発させる形で民衆どもを扇動し、余に反旗を翻すこと明白であろう? 余はこの地に圧政を敷く、悪の独裁者なのだ。大義名分などそこら辺にいくらでも転がっている。それに、もはやあの者ら、古き者共の力を借りずとも、余が新たに赤の騎士団より創設するガイヤート治安軍を以てすれば、戦乱を終えた大陸の秩序など容易に維持出来よう。――外なる敵が消えれば、次は内なる敵との闘争が始まる。余は人類が飽きる事無く繰り返してきたその愚かな慣習を一新しただけに過ぎぬ。春となりて、反乱の華が咲き乱れるか……。ならば、奴らに冬など越させぬ。余が其方にガイヤート残留を命じたのはそういう事だ。初代ガイヤート治安軍総督となる、ハイゼン元帥よ」
「エリク様……それも神々の意志という言葉やらでお片付けになる気で」
「フフフッ、そうだ。この世の全てを割り切れる『神々の意志』という名の大義名分がある限り、それは最大限に活用させてもらう」
ハイゼンはこの時、苛烈王の背後で蠢く巨大な影の存在に恐怖に近いものを覚えていた。
時折、苛烈王の口から語られる六極神の名。
今のその苛烈王の姿には、運命さえ強烈にねじ曲げる『神々の意志』が、直に伝わってくるような気迫があった。
「余は始めからあの者らに魔王討伐など期待してはいなかった。火竜を道連れにしたことでも、十分に余の期待に叶っていると言えよう。――魔王の名を語る精霊人の小娘などは、余自らの力で倒す。それが六極の神々と交わした契約だ。父が父なら、その娘も娘か。小娘と思えばこそ見逃してやったものを、魔王の名を継ぎ、あくまで余に歯向かうというのであらば、十年前のあの時同様、親子共々、この余自らの手で地獄へと送り出してやろう」
人智の及ばぬ場所で、一人我が道を行く苛烈王の赤毛なびくその背中。
皆がその背に抱く莫大な質量の恐怖と同量の憐れみを、この白髪の老将ハイゼンは、エリクのその決して大きくはない背に抱いていた。
エリクという一人の人間を、心を、苛烈王という名のねじれた運命で弄ぶ『六極神』。
苛烈王がその名を口にする度に、ハイゼンは六極神に対する言いようの無い怒りの炎が、胸の奥底で燻るような思いにさせられた。
それは六極神という名の、あまりに漠然とした者たちに対する抗いようのない怒り。
……ハイゼンはそう胸に思いを致す度に、一人の『人間』としての己の無力さに憤りを感じずにはいられなかった。
所詮、神々の意志に干渉しようなど、人であるハイゼンにとって、天空に燦々と輝く太陽に向かって手を延ばすことに等しい。
たとえ、完成したバベルの塔があり、その頂きに立ったとしても、手を延ばせばその身を白き灼熱によって焼き尽くされることだろう。
六極の神々の支配力は、この地上という世界に存在する全てにおいて、絶対なのだ。
神が生贄を求めれば、無力な者たちはそれを拒むことなど出来ない。
そして、その生贄となった一人の少女が、今、老人の二つの曇り無き眼差しの先にはいた。
「ハイゼン、余は其方に出陣の準備を命ずる。間もなく、この大陸は真に一つとなる。その時こそ、十数年にも及ぶ余と其方の戦いが、一つの終幕を迎えるのだ。余と共に……後の安楽の日々を共に謳歌しようぞ」
「はっ!」
この時、苛烈王のいつもの冷たい笑みが、僅かに微笑みへと変わっているのを老人は見逃さなかった。
「……強さだけでは到底、これだけの年月を乗り切ることは出来なかったであろう。二つの支柱を失った余にも、いまだその背を支える一つの柱がある」
「エリク様……」
苛烈王にはその冷淡な口振りの中にも、ハイゼンに対してだけ見せる優しさがあった。
これは十数年来、共に戦場を同じくしてきた者同士に芽生えた、一種の戦友としての友情のようなものなのかも知れない。
が、しかし……ハイゼン本人は、かつて二人の兄たちが共にエリクに抱いていた想いを、今度は己自身がその苛烈王の姿に重ねているのだと気付いていた。
……それは情欲などではない、高潔で純粋なる想い。
およそこの世に『愛』などという言葉の存在が許されるのであれば、それはまさしくその想いであった。
この、堕ちた天使の為ならば、白髪の老人はその命すらいとわないに違いなかったのだから……。