第五章  色褪せゆく季節

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


I



 セリカたちの決戦とほぼ同時刻。
 苛烈王エリク・レムローズは、城塞都市ガイヤートの玉座の間にいた。
 玉座の苛烈王はその冷淡な表情に薄ら笑いを浮かべながら、白髪の老将にこう語りかける。
「フフフッ、そろそろ余の精鋭たちと魔王の戦いが始まる頃であろう。……虐殺劇としてはこれは見物であったろうに、直に見物出来ないのが残念だな」
 白髪の老将ハイゼンには、この苛烈王エリク・レムローズがあえてガイヤートに留まった理由(わけ)が、今だに不可解でならなかった。
 今日に至るまで、常に自ら望んで全軍の最前線に立ち、立ちはだかる者どもの頭上に容赦なくその抑圧の鉄槌を振り下ろしてきた北方のブリザード、レムローズ苛烈王が、今回の魔王討伐に限っては、その苛烈王軍の主力ともいえる四個騎士団二万を繰り出したにも関わらず、僅か三千ばかりの兵を残して、自らはおとなしくガイヤートに留まった。
 この戦闘は、十年前の南フォーリアの王都、ドーラベルン陥落以来、人類史上最大の決戦とも呼べる戦いであった。
 争いを好む苛烈王でなくとも、歴史に勇名を残すであろうその戦いに参加を望まぬ勇者などいない。
 波がおさまったばかりでまだ日の浅い大陸。
 苛烈王自らがその王国の要である城塞都市ガイヤートに留まり、直に大陸全土を牽制するという意味では理に適ってはいた。
 大陸中の恐怖の権化たる、無敵の苛烈王がこの難攻不落の城塞都市に在る限り、王国の絶対は揺るぎないものとなる。
 ……だが、こんな守勢の苛烈王を、共に十数年戦ってきたハイゼンは、未だ嘗て見たことがなかった。
 攻撃こそ最大の防御が信条の苛烈王である。
「ハイゼンよ、其方は戦を好むこの余が、何故にむざむざ勇名を印すべき一戦を放棄してまでこのガイヤートに居残ったのか? と、そう問いたいのであろう」
「はっ、……いえ。私は陛下の臣として、その意に従うのみでございます」
 苛烈王は徐に玉座から立ち上がると、石段を一段、また一段と下り、ハイゼンの元へと歩み寄り、その耳元でこう囁いた。
「全ては、……この余の掌の上にある。この世に運命という定められた道があるのだとすれば、それは余の後に付き従う一本の影のようなものだろう。……余が光輝に近付くにつれ、影はより長く、無限に伸び続ける。光輝という名の神の域へな」
「エリク様……」





「色褪せゆく季節に余は何を想い、何を見つけるのか……。フフッ、答えになどなっていないな。だが光輝に近付くにつれ、その愚かさに虚しさを感じる余の姿がある」
 その刹那、鮮血のように赤い苛烈王の眼差しが、ハイゼンの黒い両眼を捉える。
「しかし、振り返ることは許されぬ。余が自らのことを余としてこの国の王である限り、苛烈王を名乗り続ける限り……な」
「……エリク、様…」
 その時ハイゼンは、苛烈王のその冷たい眼差しの奥に潜む、悲しみ、優しさ、憎悪といった溢れんばかりの感情が、互いの瞳を介して、心の奥底に流れこんでくるような錯覚に陥った。
 誰に対しても開かれない、閉鎖した心。
 ハイゼンはこの時、その圧倒的な質量を持つ感情が、エリクという器から零れだしてくるのを垣間見た気がした。
 見えない糸に操られるかのように、幾度となく自己の限界を超え続けてきた苛烈王、エリク・レムローズ。
 エリクは自らが苛烈王であり続ける為に、その限界の数だけ苦しみを、ただ無言で耐えぬいてきたのだ。
 何も語らず、黙々と神々の意志のみに従うこのエリクの背中の秘密を知るものは、後にも先にもこの白髪の老人ただ一人をおいて他に無い。
 その老人の瞳には、赤毛の、決して大きくもないその背中が、まるで二人の兄を自らの過ちで失ったと悔いる少女の、その免罪を乞う姿にも見えた。
 同時に老人は、これだけの試練をエリクという、ただ一人のみの身にかした六極の神々の存在に、憎悪に近い感情を抱かずにはいられなかった。
 老人には、この何もかもが六極の神々という高慢な存在によって仕組まれた茶番のように思えて仕方がなかったのだ。
 確信はない。
 ……しかし、二人のエリクの兄の死や、エリクの覚醒と同時に蠢き始める悪辣な黒い影。不可解という言葉だけでは片付けられない現実の数々を目の当たりにした今となっては、それをただの偶然や奇跡などというありふれた一言で片付けることなど到底出来はしなかった。
「余は、余が苛烈王と呼ばれ、北方のブリザードと恐れられるようになったその時より、自らに悪であり、他者に悪であることを己の身にかした。正義という、乱発される愚かしい信念が、勝者のみに語ることを許される高慢に満ちた下らぬ偽善である以上、余は悪となり、勝ち続けることでその馬鹿げた正義を民衆ども示さねばならぬと、余は余自身の身を以てそう確信した。その正義なくして、人は戦いの中で、一人の人間として有れぬのだからな。……人とは、なんと弱きことか。己れを正当化する言い訳探しの日々に明け暮れる生き物。無論、これは余自身を含めてのことではあるが、な。――だが、人という生き物が幾千、幾万もの争いのうちに進化という形で洗練されていく度に、六極の神々たちはあることに気付き始めたのだろう。人は、己の限界を超えては生きられぬ、……生きてはならぬものだ、と。ならば、誰かがそれを抑制せねばならぬ。飾られた正義という名の元に『力』の秩序を築かねばならない。……人という無力に思えた生命体は、今や六極の神々にすら抗う力を持ち得たのだ。なればこそ、無の力の存在を、六極の神々を震撼させる力の存在、ダークフォースの存在を人々に気付かせてはならぬのだ。その為に余という存在がこの地上に生まれた。ウィルハルト聖剣王が、力の結晶たる聖剣グラムの真実に気付き、聖剣王の覚醒がドーラベルンの決戦の時、もし事前になされていたのならば、余と聖剣王の立場は逆転し、六大天魔王の時代を復活させる糸口となりて神々どもを震え上がらせることになっていただろう。――反逆は未然に防がねばならない。六極の神々は絶対の存在であり、人を統べる正義という名の力こそ、互いに人々を争わせ、人という種に、至上の存在たる六極の神々への永遠なる服従を誓わせる連鎖となるのだ。それは真の敵の存在を人々に気付かせぬ為に生み出された巧妙なカモフラージュ。――だが、すでに北と南の人間が争い、東方の漆黒の魔王によってその両者を牽制するといった三者三竦みの時代は幕を閉じた。旧秩序の崩壊は、六極の神々に新たなる秩序の建設を決意させるに至る。……次期にこの地上に誕生することとなる永遠の新秩序、『アスラフィル』の為、余は旧世代の亡者どもを一掃せねばならぬ。余という存在はそこに至る為の、ただの橋渡しでしかない……。――フフッ、たが余の背中に繋がれた二つの糸を操る六極の神々も、その糸が緊張に張り詰め、今にも切れかかっているということには気付いてはいまい。……初めて光輝に触れたあの時の余と、いつまでも同じであろうはずもないのにな、」
 そう言って、珍しく多くを語った苛烈王の血の色の眼差しは、一人の老人の瞳には何処か寂しげにも映った。


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