第四章  大いなる意志

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


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  ゴォォォォォォォオオオオオッ!!!

 大火は一月もの間絶えず燃え続け、大陸の東側を大きく覆う魔王の森を消失させるに至る。
 灰色に舗装された大地を、一路東へと突き進む苛烈王軍二万。
 もはや、その進軍を阻むものは、何ものも存在しはしなかった……。

「苛烈王軍は、ここで迎え撃ちます」
 古城の見える丘の上、漆黒の魔王に扮したセリカは、即席の魔王軍を率いてその場に立った。
 見渡す限りの白き灰の大地。
 それは雪の日の銀世界のようにも見える。
 ――魔王軍とはいっても、その陣容は痴れていた。
 魔王のセリカに側近のフランチェスカ、それにリカディ率いる南フォーリア騎士団七名の騎士、最後に剣士のゼルドパイツァーを加えた総勢十名の兵力である。
 ……それは軍隊と呼ぶより、もはや一小隊であった。
 戦いの前、フランチェスカが僅かに生き残る竜人たちの召集をセリカに提案するも、セリカはそれをこう言って毅然と退けたのだ、
 『たとえ漆黒の魔王の名が滅びるとしても、それで竜人という一つの種を滅ぼすわけにはいきません。……フランチェスカ、竜人一の勇者が傍にいてくれるだけで私は十分です』、と。
 セリカは他にも、これまで漆黒の魔王の名で保護し続け、俗に魔物と呼ばれ人々の間で蔑まれてきた異人種の者達にも、一切の協力を求めなかった。
 要請すれば彼らは種を挙げてセリカの元へ馳せ参じ、魔王軍はその数を一気に増強させるに違いなかった。
 ……が、同時にそれは彼らというの種自体の滅亡を意味する。

  それだけ『人』という種は膨大なのだ。

 人は有史以来、幾度となく戦いを繰り返してきたが、一度として種の滅亡という危機を迎えることはなかった。
 その数の膨大さこそが、人間という種の脅威そのものといえた。
 絶対的多数と、圧倒的少数の戦い。
 その縮図が、この戦場そのものを物語っているようにもセリカには思えた。
 現在、苛烈王軍と魔王軍の戦力差は数の上で二千倍、もし勝機があるとすれば敵兵たちが心の奥底に持つ、『魔王』という存在に対する潜在的な恐怖をいかに利用するかということと、あとは純粋に兵士そのものの質の差であろう。
 一騎当千の竜人族最強の勇者・フランチェスカを筆頭に、
 仮にも漆黒の魔王の名を名乗る、神にも近いといわれる絶大で圧倒的魔力を誇る精霊人・セリカ。
 ウィルハルト聖剣王がこの世に遺した希代の魔法剣士・リカディと彼女を護る六人のケルベロス。
 そして、伝説の剣聖であるサムライ、ゼルドセイバーの血を引く名高きネトリエム家の剣士・ゼルドパイツァー。
 特に漆黒の魔王セリカと竜人フランチェスカの戦力は、各々が一個大隊の戦力に匹敵すると言っても過言ではない、特別で異質な存在。
 漆黒の魔王・セリカは語る、
「この丘の上だと、膨大な数の苛烈王軍全軍を眼下におさめることが出来ます。私が全力で破壊魔法を発動させれば、フレアロード様の閃光のブレスには到底及ばないにしても、千や二千、もっと多くの敵兵をなんとか出来るも知れません。私の破壊魔法に巻き込まれないように、こちらが少数であるということは、ある意味都合がいいんです。……恐らくは、私の発動させる究極の破壊魔法によって一瞬の内に数千の軍隊が蒸発して、この世から消滅します。……あとはその光景に恐れ慄き、大勢の敵兵が逃げ出してくれるのを期待するだけです。苛烈王とはいえ、所詮は人の子。人の理解を、人智すら超える漆黒の魔王の破壊的一撃を目の当たりにさせられれば、全軍の統制すらままならなくなるでしょう。出来ればそれによって、撤退を止むなしとなれば……ですね、」
 と、セリカはこう、大まかな作戦をゼルドパイツァーやリカディらに告げた。
「つまり、オレらはセリカさんがその破壊魔法ってヤツを発動させるまで、この丘を駆け上がってくる敵どもを足止めするってわけだ。……だけど、相手はあの苛烈王だ。そう簡単に逃げ出しますかね?」
 ゼルドパイツァーの疑問にリカディが同意して首肯くと、セリカはさらにこう説明を付け加えた。
「苛烈王とはいえ人の子、人間です。魔神でもないその身に、私の究極の破壊魔法である『浄化(ホーリー)』の直撃を受ければ、一瞬の内にしてこの地上から消え去ることでしょう。私は彼のいる本隊に向かって、その魔法を発動させますから」
「浄化ッ!!! ……魔王殿は伝説の聖なる閃光、光の神エルスそのものの『力』の具現化とも呼べる究極の第零等魔神魔法までも発動出来るのかッ!! 浄化と言えば六大天魔王と神々の戦いの時代にその名でのみ語られた伝説の禁呪なのだぞッ! ……勝てる、これは勝てるかも知れないぞ、ゼルドパイツァーッ!!!」

  パンッ、パンッ!!!

 リカディは驚嘆の声を挙げながら、ゼルドパイツァーの背中を力強く何度も叩いた。
「そ、そうなのか……」
「当たり前だ、魔法も零等ともなれば全知全能の神々、六極神の力そのものだ。レベルそのものの次元が違う。もはや究極の名に値する唯一の破壊魔法と言ってよい!! そんな伝説というよりも、奇跡の大魔法を発動出来る大魔道士がいれば、すでに戦など数の勝負ではないぞッ!!! 妾はこの眼で、生きて神々の戦いの再現を見ることが出来ようとはな、」
 ゼルドパイツァー自身は魔法と呼ばれるもの知識に疎く、とてもリカディと同じようには素直に喜べなかったが、何より少しやつれた感のあるセリカのことが気掛かりだった。





 セリカは古城を、……今やこの場にいる全ての者たちの心の拠り所となっているあの場所を火の神ラファスの業火から守る為に、延々と一ヵ月もの間、水の神ファリスにその加護を、祈りを捧げ続けていたのである。
 セリカの肉体はすでに疲労の限界に達していたが、それをセリカは強靭な精神力で持ち堪えさせていた。
 ……今もしそのセリカが、そんな大きな、とてつもない大魔法を発動させたとしたら、セリカの身体は一体どうなってしまうのだ!?
 そんな不安が頭の中でゼルドパイツァーを襲った。
「セリカさん、……オレ、その、何て言ったらいいのかわからないけど、無理だけはしないで下さいよ。無理するなっていっても、それこそ無理な話かも知れませんが、ね。――負けた時は何処か遠くへ逃げればいい、それくらいの気持ちで戦おうじゃないですか!!」
「ふふふっ、そうですね。その時はみんなで一緒に逃げ出しましょう。何処までも、みんなで一緒に……」
 セリカがそう言って微笑むと、一同に張り詰めた緊張がほぐれたかのように、誰からともなく笑い声が込み上げてきた。
 セリカたち魔王軍が大軍の苛烈王軍に勝利するには、まず己自身の抱く『恐怖』に打ち勝つことがその大前提であった。
 二千倍もの数の敵に対する、内なる恐怖。
 この恐怖に呑まれた時、それは則ち敗北の時であり、ここにいる全員の死を意味していた。
「いよいよ、御出でなさったな、」

 ――こうして、西の地平に白い土煙の群れがその姿を現わしたのを、ゼルドパイツァーは発見する。


 それは、この戦場に苛烈王軍二万の大軍が到達したことを報せる狼煙であった……。


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