第四章 大いなる意志- D A R K F O R C E S -
By.Hikaru Inoue
IX
古城の三階に飛び出るようにしてある展望台からは、天空の頂点を目指す白く眩い朝陽も、地平へと沈みゆく赤き夕陽も、その両方が最高と呼べる美しき景観で眺めることが出来た。
そして、その展望台の先には、この日の落日を寂しげに一人眺めるリカディの後姿があった。
……リカディの黒髪は傾斜を増す夕陽によって夕焼け色に染まり、その二つのアクアマリンの瞳は、遥か西の地平の方へと向けられていた。
「フフッ、悪党のゼルドパイツァーか」
リカディは、背後のゼルドパイツァーの気配に気付いたのかチラリと目を遣ってそう呟くと、再び視線を夕陽の方へと注いだ。
ゼルドパイツァーはその夕陽の前にズンズンと進み出ると、リカディの視線を遮るようにしてこう言った。
「失恋でもしたような顔して。寂しいんだったらオレが慰めてやるぜ、リカちゃんよ〜ぉ、」
「貴様のような腐れに情けをかけられては、妾も女としては終わりだな。……下へと突き落とされる前に、さっさと消えることだな」
リカディはつれなくそう言うが、その表情は穏やかに微笑んでいた。
「リカディ……、」
「……夕陽を見ていると、妾は不思議な気持ちになる。落ちゆく夕陽は、何故あのように、血のように赤く燃えているのか。――燦々と天高く輝く栄光も、いずれは落日の日を迎え、あのように燃え尽きるということだろうか……」
ゼルドパイツァーは、このリカディの言葉の裏に、大国の滅亡を語る一人の王女の姿を見た。
そして、普段から言葉少ないリカディだが、何か心でも許したかのように、ゼルドパイツァーにこう語りかけた。
「妾は父が、……あのウィルハルト聖剣王が、剣によって斃れる日が来るなど思いもしなかったし、そう考えたこともなかった。……あの無敵の父を、ウィルハルト聖剣王を苛烈王という男は、その『剣』によって破ったのだ。――王城ドーラベルンの玉座の間でその光景を物陰から垣間見たあの時、妾は苛烈王という人物が恐ろしくて堪らなかった。……あの姿、そしてその強さは、まさに人の言う『悪魔』そのものであった。妾は壁の奥で内震え、苛烈王という恐怖が目の前から消え去るのを、ただじっと耐えることしか出来なかった」
そう言ったリカディの口許は、苛烈王の名を語る度に微かに震えていた。
……それは十年前の南北の大戦終結のその日。
当時、大陸最強の剣王とうたわれた南フォーリアのウィルハルト聖剣王を打倒すべく、南下した苛烈王エリク・レムローズは、五千の城兵を四万もの大軍で押すという圧倒的優位な立場にあった。
しかし、その優勢にありながら苛烈王は自ら先陣を切って、南フォーリアの王城ドーラベルン奥深くへと分け入り、激しい死闘の末に無敵の聖剣王を一騎打ちという形で打ち倒したのである。
それは苛烈王エリク・レムローズが、名実共に大陸最強の剣士となった瞬間であった。
ウィルハルト聖剣王という絶対的な求心力を一騎打ちという最悪の結果で失った南フォーリアの勢いは、その日のうちに失速する。
苛烈王は、南フォーリアの騎士たちがその心の拠り所を失うことの大きさを誰よりも理解していた。
それは己れ自身が一人の剣士として剣を振るう、その剣の重さと同様に。
「妾は苛烈王と戦うのが恐ろしい。……苛烈王がこの城へと迫っているとそう思うだけで、身震いが止まらなくなる。王女としての意地も、騎士としての誇りも、全て消し飛んでしまうほどの恐怖。――それが奴……レムローズ苛烈王なのだ。村を襲った騎士どもが、奴のことを悪魔と呼んだのも無理もない。――奴は本当に悪魔だ……我が父、無敵のウィルハルト聖剣王ですら、奴に破れたのだぞ」
これほどリカディを感情的にさせる苛烈王とは一体何者なのか?
……ゼルドパイツァーはこの森に旅立つ前、一度だけ目にしたことのある苛烈王のその姿を思い浮べる。
――玉座の上で偉そうに膝を組み、腕木に頬杖をついた、冷淡な表情のその人物。
……強いて他者との違いを挙げるなら、その華麗な、女性とも見紛うばかりの類い稀なる美しき容姿。
それ以外、ゼルドパイツァーには何も思いつかなかった。
外見的な強さや威厳など、ゼルドパイツァーには微塵も感じられず、噂に聞いた悪魔の姿に、所詮は人の噂と思わず苦笑いを浮かべるゼルドパイツァーだった。
このリカディとゼルドパイツァーの認識の差が、そのまま二人の技量の差ともいえる。
「……恐怖は妾を不安にさせる。妾はその恐怖に打ち勝つだけの信念が、勇気が欲しいのだ。……恐怖が妾を現実から目を背けさせ、気が付けばいつも逃げることばかりを考えている自分がいる」
リカディはそのアクアマリンの瞳をゆっくり閉じると、寂しげにこう呟いた。
「妾はこの冬で十八となる……。妾は愛という言葉の意味すら知らずにこの地に散りゆくのであろうか。……フフッ、男勝りの妾など見初めるお人好しもおるまいがな。――妾は第八王女、数多いる側室の子の一人だ。……幼い頃から、軟弱で傲慢な大貴族の子息どもとの政略結婚を覚悟していたさ。所詮、王女などといっても女は政治の道具に過ぎぬ。恋などすれば、それだけ自分が惨めに傷つくのは目に見えていた。……だからこそ妾は剣の道に生きることを決意し、そして偉大なる父、ウィルハルト聖剣王に少しでも気に入られようと、女だてらに剣を振り回した。――父に愛される、そのことが妾にとっての唯一の実現可能な愛のカタチであった。……本当は、貧しくてもいい。農家の娘にでも生まれ、その一生をつつましくも、愛で満ちたものに過ごしたかった。……少女の描く夢にしては、多少しみた所があるがな。普通に生きていれば、妾は普通の少女のように王女の身にでも憧れたのであろうか。――白馬の王子様とでも幸せに暮らすか? フフフッ、王とは、男とは誰もが浮気者。その愛を繋ぎ止めようとすれば、我が母のように余計に惨めになるだけだわッ……」
この時ゼルドパイツァーは、初めて見せ付けれたリカディこの弱さに、胸が締め付けられるような思いがした。
……同時にリカディが、とても繊細でいとおしい存在にも思えた。
「この城、作りはボロだが男にとっちゃあ花園ってヤツかぁ? セリカさんに、カローラちゃん、そしてリカちゃん。目移りして困っちゃうぜ。いっそのこと、オレが王様にでもなって三人とも奪っちまうかぁ?」
戯けた調子でゼルドパイツァーがそう言うと、そのおかしな姿が沈んだリカディの顔に笑みを誘った。
「フフッ、『王』とは最強の剣士に与えられる称号であるというのが父の持論であった。……そう思うのであれば、貴様が最強にでもなればよい。さすれば、この身も世界も思いの侭だ」
「その言葉忘れるなよ、リカちゃんッ! ワッハッハッハッハッ!!!」
ゼルドパイツァーはリカディの肩をポンッと叩くと、高笑いをしながら古城の奥へと消えていった。
「……フフッ」
この時、リカディは心の底から笑っている自分に気付いてこう呟いた。
「フッフッフッ、……妾は南フォーリアの名にこだわり過ぎていたのかも知れぬな。落日ばかりに目を向けるあまりに、朝日の存在を忘れていたか。――妾も愛すべき男の腕の中で、共に朝焼けを見てみたいものだな」
そう囁くように言ったリカディの頬にほのかにさした紅を、この日の夕焼けは優しく溶かしてくれた。