第四章 大いなる意志- D A R K F O R C E S -
By.Hikaru Inoue
V
その翌朝、エリクは城の空中庭園で珍しくカルサスの姿を見つけた。
空中庭園とは城の三階に作られた庭園のことで、風車によって地下30メートルから汲み上げられる澄んだ水により大理石の泉は満たされ、そこにはエリクの育てた花々が辺り一面を覆うように、彩り豊かに咲き乱れている。
ここはまだ北レトレアが城塞都市ガイヤートを失う前の、まだこの国が富という言葉に彩られていた時代に莫大な金銀を浪費して造られた豪奢な庭園で、その後、一度、北レトレアの衰退と共に枯れていったこの空中庭園も、今はこのエリクや庭師たちの絶え間ぬ汗と努力の末、造営時の華やかさを取り戻している。
エリクは言った。「こんな時代だからこそ、私は城の皆の誰もが、心に美しい花を持っていることを忘れないで欲しい」と、
そして、いつもの日課でこの空中庭園へと顔を出したエリクは、普段と変わらぬ様子でカルサスに逢うなり、その兄ににこやかにこう尋ねた。
「お兄さま、どうかなされましたか?」
いつもは花など見向きもしない豪気なカルサスであったが、何か思い詰めたような表情で石段に腰を下ろし、眼下に広がる手入れの行き届いた花壇の方を見つめていた。
カルサスはあれから一睡も出来ずに、この空中庭園で夜が明けるのを待っていたのだ。「カルサス兄さまでも、こんな朝早くからここへくることもあるのですね」
エリクがそう言ってカルサスの隣にちょこんと並んで座ると、カルサスは重い口をゆっくりと開いて、零すようにこう言った。
「私は自分の度量の狭さが、つくづく嫌になる。……ここでこうしていたのも、朝になればエリクの、お前の顔が見れると思ったからなのかも知れないな」
「お兄さま……」
エリクが何処か不安げにカルサスの顔を覗き見ると、カルサスはまるで後ろめたさでも感じるかのようにその顔を背けてこうエリクに言った。
「見てしまったんだ、昨夜の事。――兄上とエリクが、その……」
「……!?」
カルサスの言葉は、エリクを押し黙らせる。
……そして、カルサスはさらにこう続けた。
「私は兄上を、誰よりも尊敬している。敬愛しているさ……、兄上は私の目標だから。――だけど私も、その兄上と同じだけ、いや兄上以上に、お前を、エリクのことを愛しているんだッ!! 一日とてお前のことを想わぬことなどない、お前は救国の道具なんかじゃない! 私にとって、エリク、お前は天使そのものなんだ……」
「!? ……カルサス兄さま、」
取り乱すカルサスの勢いに押されるように、エリクは茫然自失のまま、その赤いルビーの瞳を大きく見開きカルサスの方を見つめていた。
するとカルサスは、悲痛に歪む己の顔をエリクに見せまいと石段から立ち上がる。
「……すまない、エリク。今のことは忘れてほしい。私は兄上には遠く及ばないかも知れないが、それでも兄上を敬う心に偽りはない。……妬きもするが、それで兄上を、そしてエリク、お前を私は失いたくはないんだ。――どうすればいいのかわからない、だが、このままでいい、……私はこのままの関係で二人といつまでも一緒にいたい」
エリクは徐に立ち上がると、その逞しい兄の背中を抱いた。
――エリクにとってこのカルサスは、その兄ローヴェント同様に大切な存在だった。
カルサスはその背中からエリクの柔らかな温もりを感じ、エリクはそのカルサスの背中に痛いほどの悲しみを感じた。
「エリクにはローヴェント兄さまも、カルサス兄さまも、世界で一番大切だよ。世界で一番は一つじゃなきゃいけないのかな。……エリクにはわからないよ、」
エリクがカルサスの背中をそう濡らすと、カルサスは俯いてこう呟いた。
「……父上は仰っていた。エリクは我らが北レトレアが手にした最後の希望、……六極の神々がこの地に使わされた、伝説上の神話の存在、『天使』そのものなんだと。――父上も母上も、エリクを救国の道具だとしか見ていない。……だからそれを知った時、私と兄上は二人で誓ったんだ。どんなことがあろうとも、エリクを守ろうと、愛そうと。――そして、気付いた時には愛は真実になってしまっていた……。もう、エリクなしでは、私も兄上も生きてはいけない、」
――その日の地平を染める朝焼けは、二人にとって夕焼けのようにも見えた。
眠れない夜を過ごしたのはカルサス一人だけではない。
エリクもその例外ではなかったのだ……。
『美しきもの』を独占したいという心は、人を強烈に引き付ける本能なのかも知れない。
その絶世を目の当たりにしながら、それでもなおその心に、想いに抗い続けることが出来るほど、人の精神は決して強くは作られてないのだろう。
全てを失ってもそれを得たいと思わせるほどに……。