第四章 大いなる意志- D A R K F O R C E S -
By.Hikaru Inoue
I
神聖レトレア王国の苛烈王、エリク・レムローズ。
彼は、無敵と呼ばれたウィルハルト聖剣王を、その『剣』によって葬り去ったほどの強者であり、同時に卓越した戦略眼と鋭利な頭脳をも併せ持つ、若き大陸の覇者。
その性格は冷徹にして冷酷。
彼を知るものは、その絶大なる畏怖の念から、自然と彼の事をこう呼んだ。
……全身を血の色で塗装した、狂気の帝王と。
「フハハハハッ!! これで、曖昧なる正義を語り、過去の栄光にしがみ付くことしか知らぬ、無知で愚かな南フォーリアの名は、この地から永遠に抹消されようぞッ! ――我が精鋭のレトレアの騎士たち、玄武、朱雀、青竜、そして白虎、各々の騎士団に命ずる。今こそ、亡国の亡者どもに裁きの鉄槌を喰らわせよッ!! ……一人も生かしてはならぬ。容赦なく殲滅し、大陸に我が神聖レトレアの威光を知らしめるのだッ!!」
城塞都市の名で呼称される王都ガイヤート、その玉座の間で苛烈王は号令する!!
「ハッ、全ては陛下の御意のままにッ!」
苛烈王は事前に準備を整えさせた精鋭の四個騎士団に即座に命を下し、大規模な南フォーリア掃討作戦を発動させた。
世に言う『粛清の三ヵ月』の始まりである。
カリア村に端を発した大虐殺事件は、苛烈王の策略によって、その規模を幾十倍にも誇張されて大陸全土に布告された。
――それにより、反苛烈王の旗を掲げる南フォーリアの残党たち反乱分子は、『自由への解放』という自らの正義を失い、各地で苛烈王の圧政に抵抗を続ける反苛烈王派の地方都市国家郡(ポリス)の信頼を一気に失墜させることになる。
故意に乱用される『正義』など、所詮はこの程度のものでしかなかったのだ。
……そんな曖昧な正義などに、当然『信念』が付随するはずもなかった。
大陸に多数存在する大小の都市国家たちは、己れがカリアの虐殺の二の舞になることを恐れ、一斉に南フォーリアの残党たちとの決別を決意する。
……こうして、苛烈王を共通の敵とし、互いが互いを利用するといった、今日に至る両者の共生関係は完全に消滅した。
物資的、精神的に孤立する南フォーリアの残党たち。
南フォーリアの騎士たちという強力な『武力』を手放した時、初めて自らの無力さを思い知らされた都市国家たち。
両者の共生が断たれた今、すでに彼らは強大な軍事力を背景とする苛烈王の『敵』ではなかった。
統制された大陸最強の四個騎士団を筆頭とする総勢五万を超える苛烈王軍の大軍により、市民兵が守りを固めた程度の都市国家など、蟻を踏み潰すように次々と駆逐されていくことになる。
孤立した南フォーリアの騎士たちも同様に、都市という防波堤を失っては、その大波に押し流される以外、術などなかった。
「……気に入らぬようだな、ハイゼン」
騎士たちの去った謁見の間で苛烈王は、一人その場に残る白髪の老将にそう尋ねた。
「以前のように陛下を……エリク様と、そう御呼びするわけにはいかないのでしょうか。心のなかだけではなく、この老人の言葉として、」
「構わぬ、余と其方と仲ではないか。他の騎士どもがおらぬ前では、恭しく陛下などと呼ばずともよい。……フフッ、苛烈王とも呼ばれているな。――余もなかなかにして悪どい名で呼ばれるようになったものだな。当初、余が王に即位した時などは、麗しの北レトレアの美髪王とも呼ばれたものだがな、フッ」
そう言って、口許に指先を当てながら微笑む苛烈王に、何処か淋しげな面持ちのハイゼンは、力強くこう語った。
「我が眼に映るエリク様は、いまだ麗しき美髪王陛下であられます。何者がエリク様をどう中傷しようとも、このハイゼンにとって!! ――王という名の『力』が、権力が、……貴方様の御姿を、エリク様を変えたのでしょうか。……失礼ながら王という名の冠をその頭上戴く以前のエリク様は、まるで汚れを知らぬ少女のように無垢で御優しく、全ての者たち、貴族、平民など別け隔てなく平等に接しておられました。誰もが皆、そんなエリク様を心から愛し、慕っておりました。――大国の王として、それがあるべき姿だとは申しません。変わるべき時に変わるのが『王』という名を継ぐ者の試練でしょう。しかし、……時には慈悲を与えることも、民を、人を統べる上では、」
熱い思いを語るハイゼンに、表情も変えずに苛烈王はこう答えた。
「そうやって余に堂々と意見する者も、今や剣聖殿御一人となってしまったな。媚び諂う者が多数を占める中、其方のような存在は余にとって大きいぞ。――フフフッ、少女か? ……確かに昔はよく間違われたものだ。北レトレアに、このような美姫がおられましたかな? などとな。……余は皮肉だとばかり思っていたが、まさか本気でそんなことを言っていたとはな。――だが、実際に王位を継いだのは頑健な兄たちではなく、軟弱者と陰口を叩かれたこの余の方であった。余は変わるべくして、この手に剣を握り、剣聖と呼ばれる其方を師と仰いだのだ」
苛烈王は玉座の腕木に両肘をかけると、もたれ込むようにして、ゆっくりと天井を見上げる。
「……余はこうやっていつも、何処までも蒼く、淡く遠いグラデーションの彼方を見上げていたような気がする。第三王子である余では、国は継げぬとなッ……。――だから、二人の兄の戦死の報を耳にしたその時、悲しみと同じだけの喜びがこの胸の奥に込み上げてきた。……余はこれで、ついに王になれるのだと。――フフッ、それは強がりというものかも知れぬな。無力だった頃の、かつての己れに対する……な、」
「エリク様……」
この時、一瞬だが苛烈王の見せた力ない表情に、かつてエリクが幼き日々に見た純真無垢なあの天使の笑みが、ハイゼンには重なって見えた。
それはまだ苛烈王が心の何処で、あの頃の優しさを忘れていないのだというハイゼンの願望が見せた、刹那の幻影なのかも知れない。
「……余の戦いは、六極の神々の啓示を受けしその時より始まった。それは、神聖にして絶対の神々の意志だそうだ。……余は戦わねばならぬ、そしてこれは余自身が望んだ戦いなのだから、な。その為には冷酷にも、非情にもなろう。――余が完全にこの大陸を制覇し、東の脅威たる漆黒の魔王を取り除いた時、……初めて余は、あの頃の自分へと帰れるのかも知れぬ。――だが、それまでは余に無限の勇気と力、『狂気』を与えてくれた六極の神々どものくだらぬ期待に応える為にも、後戻りはもう許されぬのだ、」
そう言い終わると苛烈王の表情は、いつもの冷淡なものへと戻っていた。
……その冷たい眼差しの奥は血のように赤く、獲物を見据えた猛禽のように鋭い。