第三章  誇り

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


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 ……翌日の夕刻。
 リカディたちを連れ、古城へと戻ったセリカは、笑顔で一行を出迎えるカローラに襲撃の事実をありのままに伝えた。
「ありがとうございました、セリカ様。――あっ、今日はたくさんお客さまがいらっしゃいますね、……私、いつも通りの分しかお食事を用意してませんので、すぐに作り足してきますッ!!」
 と、カローラはセリカに元気よく一礼して、厨房の方へと駆け出していった。
「カローラ……」
 無理に明るく振る舞うカローラの姿が、セリカには痛々しかった。――カローラはこの後、食堂でも、終始その笑顔を絶やさないでいた。

「おおぉ! こ、これはぁ」
 即席の宴の席に招かれたバーハルトら騎士連中は、久しく目にすることのなかった豪華で彩り豊かな料理の数々に、歓喜の声を上げた。

  ゴクリッ……。

 リカディも生唾を飲んでそれを見つめるが、部下たちの手前、王女としての体裁を保とうと必至に努めた。――だが、頬の弛みだけは隠せない。
「今日はお客さまがいっぱいだから、私も頑張っちゃいました。カローラの料理、みなさんのお口にあってくれると嬉しいですっ」
 とそう、カローラは両手を後にやって、可愛らしく微笑んで見せた。
 そのエプロン姿の少女の仕草に、バーハルトら騎士たちは頬を赤らめて歓呼した。
「もちろん、お口にあいます、あわせてみせますともッ!」
 蒼い鉄仮面を脱いだバーハルトの素顔は、中々の好青年だった。
 ――蜂蜜色をした肩までかかるロングの髪に、光の届かぬ深海のような黒くも見える深い蒼の瞳。美青年とまではいかないにしても、誠実そうな顔立ちは見る者に好感を与えた。
 断っておくが、ゼルドパイツァーよりはランクが一つ上のいい男だ。
「フフッ、オレの渋みがわからんとは、程度が知れるのぉ」
 そんなゼルドパイツァーの独り言をよそに、席についた一同は、次々に運ばれる料理の数々を楽しんだ。
 カローラは、皆の枯渇した胃袋を満たす為に、慌ただしく食堂と厨房の間を駆け回る。
「んっ! この卵焼き」
 美食家のリカディは語る。
「菓子折りの下に密かに忍ばせた小判を思わせるような眩き山吹色、中に広がるふっくらと柔らかい触感が……」
「お、語っとる、語っとる」
 ゼルドパイツァーがそう言って茶化すと、リカディは何かを思い出すようにカローラにこう言った。
「この味付けはまさに、以前食した奇跡の弁当と同じ物ではないかっ……。――美味だ、美味であるぞ、このロックの卵焼きはッ」
「わ、わかりますっ?」
 リカディに自慢の料理を褒められたカローラは、嬉しそうに反応した。
 そして卵焼きの話で意気投合した二人は、何時しか食について熱く語り始めた。
「ロックもよいが、『びきたん』はまさに絶品であるぞ。あれは幻の珍味『するめ』とも並び評されるほどの絶品だ。――よく跳ねるものほど活きが良いのだ」
「びきたん???」
 リカディから聞かされる未知の食材の名に、カローラは調理を忘れて唯々聞き入った。
「『お玉じゃくしは〜びきたんの子ぉ〜 』という名歌まである。――何度聞いても心打たれるものだ。冬は冬眠していない、旬の食材というヤツだな。よし、今度、沼へ一緒に捕まえにいこう」
「うわぁ、楽しみッ!」
 手を叩いて燥ぐカローラ。バーハルトたちはその無限の食欲で話の水を差すように、声を揃えてこう言った。
「カローラちゃん、おかわりぃっ!」
「はぁーーいっ! 今すぐっ」
 カローラはバーハルトたちに向かって快活な返事をすると、再び厨房の奥へと消えていった。
 カローラのその元気な姿に安心したのか、セリカはホッと胸を撫で下ろして、ぽつりとこう呟いた。





「……あなたの悲しい顔を見るのは、耐えられないもの」

 ……この時、カローラは、何か没頭することで必至に悲しみを紛らわそうとしていた。――きっと一人になれば泣き出してしまうに違いない。だから、自室に戻った時、ベットの上で一人になるのが恐くてたまらなかった。
 ――この宴かずっと続いてくれればいい、理由がなくてもみんなと一緒にいられる時間がもっと欲しい……。
 そんなことを胸の奥で思いながら、カローラはその小さい身体いっぱいの料理を揺らして、セリカたちの前に現われて笑顔で言った。
「まだまた沢山ありますから、いっぱい食べて下さいねッ!」

        

 夜の沈黙が、この日のカローラには無限のようにも感じられた。耳鳴りがするほど静まり返った室内で、カローラは明かりも灯さずに白いベットの上に横たわっていた。
「……おかしいな、こんなに悲しいのに、どうして涙が出てこないのかな」
 大声を出して思いっきり泣き叫びたい、そんな想いのカローラだったが、不思議と一粒の涙も沸いてはこなかった。
「……本当は私、村の人達を憎んでいたのかもね。――私、本当はすごく嫌な子なのかな。……わからない、わからないよ」
 カローラは、そんな自分が嫌になる。
 ――村人のことを悲しんで泣いてもやれない。酷い仕打ちをされたことも、本当は恨んでいたのかも知れない。
 ……終わらない夜が、カローラの頭の中を引っ掻き回すように、様々な想いを巡らせる。
 それは悪循環を繰り返し、さらにカローラ自身を追い詰めていった。
「もう、イヤッ!」
 そう言って、カローラは頭の上に枕を押し付けるが、少しも眠くはならなかった。
 苛立ちがカローラを興奮させ、眠ろうとすればするほど目が冴える。
 目を開ければ、そこは窓から射し込む、淡い月明かりの反射によって照らされた薄暗い石の天井で、その無表情な光景が、カローラを静止した空間へと誘った。

  トン、トンッ!

 と、その沈黙を破るように扉を打つ音が室内に響いた。
 カローラが何かに縋るような思いで扉の方へと振り返ると、その扉越しから耳慣れた声が聞こえてきた。
「カローラちゃん、起きてるかい?」
 その声はゼルドパイツァーのものだった。 カローラは白い木綿の寝間着の上にベージュの外套を羽織ると、扉の方へと歩み寄った。
 カローラが銅のノブに手を掛けると木製の扉が内側へ、キギッと音立てて開かれる。
「はい、何ですか?」
 頭一つ上のゼルドパイツァーを見上げながら、カローラは笑顔でそう言った。
 そのゼルドパイツァーは、悲しみに瞳を赤くしたカローラの姿を想像していたが、そのことで少し意外な顔をすると、頭を掻きながらこう戯けて言った。
「月が綺麗な夜なんだ。オラァ、カローラ姫さまの為なら、騎士にでもオオカミにでもなっちまうぜ。――月見るべ、月。つまみでも持ってよぉ」
「くすくすっ……ええ、いいですよ、ゼルドパイツァーさん」
 カローラは吹き出しながらも、ゼルドパイツァーの申し出を快く承知した。
 ――きっと自分のことを心配して来てくれたのだ。こんなゼルドパイツァーの心遣いが、気落ちしたカローラには何より嬉しかった……。



「不思議ですね。こうやって二人で見る月は、いつも何気なく見上げている月とは、何だか違って見える気がします」
 古城の北側にある三階の展望台から見える月輪は、空一面に散らばる銀色の宝石達の中で、朧気な光を湛えていた。
 その銀光は夜の闇を照らし、カローラの姿も青白く浮かびあがらせる。
 ゼルドパイツァーには、月明かりに照らされたカローラの姿が、少し大人びて見えた。 大人の女性へと開花しようとする莟の少女。
 無垢で素直で愛らしい、『花冠』という名を持つこの少女には、いつまでもこの清らかさを失わないでいて欲しいと、ガラにもなくそう思うゼルドパイツァーだった。
「なんだかお話に出てくる恋人みたいですね、私たち。――でも、私じゃゼルドパイツァーさんには釣り合いませんよね」
 そう少し遠慮がちにカローラが言うと、ゼルドパイツァーは図々しくも、少女の小さな肩に手を回して、その身を引き寄せた。
「そんなことぁねーぜ、今夜のカローラちゃんは本当に綺麗だ、」
 柔らかな少女の膚の感触が、木綿の服の上からゼルドパイツァーに伝わる。――カローラの豊かな胸が、ゼルドパイツァー脇腹の辺りを圧迫すると、その至福の感触に耐えかねるように、ゼルドパイツァーの頬がだらしなく弛んだ。
(……デ、デカイのね、以外と。着痩せするタイプなんだ)
 身体の方はすっかり大人なのだ。まだ幼さの残る愛らしい顔に、勝手にカローラはまだ少女なのだと決め付けていたのかも知れない。
 ――と、ゼルドパイツァーは、心の中でそう呟くのだった。
「馬鹿みたいかも知れませんけど、……私、こういうのに憧れてたんです」
 カローラは、見上げる対象を月からゼルドパイツァーへ変えると、恥じらいながらそう言った。
 月明かりの中でも、ゼルドパイツァーにはカローラの頬が徐々に薔薇色へと染まっていくのがわかった。
 カローラの高鳴る胸の鼓動が、心地よい振動となってゼルドパイツァーへと伝わる。
「ゼルドパイツァーさんは、お姫さまの私を守ってくれる、かっこいい騎士さま。――贅沢な夢ですよね、子供っぽいですし……。本で読む夢の世界のように、世の中が都合のいいわけありませんもの。――現実の私は、このお城に住まわせてもらってる、ただのお手伝い。出来ることと言えば、料理と洗濯、庭掃除ぐらい」
 カローラはそう言って少し俯くと、もう一度顔を上げて話を続けた。
「本当のお姫さまっていうのは、セリカ様のような方を言うんでしょうね。――すごく綺麗で、すごく優しくて……。私なんか、ただの田舎の村娘。――でも、セリカ様を見ているだけで、夢の世界にいるみたいで、すごく嬉しいんです。――私、セリカ様に憧れてます。セリカ様みたいになりたいと、そう思って毎日頑張ってます。……セリカ様みたいだなんて、それこそ夢のような話でしょうけど」
 セリカの神懸かり的な、類い稀なる容姿と比べては、どんな女性でも見劣りするのは当然だった。
 だからといって、カローラに自身に魅力がないというのではない。カローラも、十二分に魅力的なのだ。
「そんなことは……」
 ゼルドパイツァーはカローラにそのことを伝えようとしたが、カローラはそれさえも慰めだと思ったらしい。
「ありがとう、ゼルドパイツァーさん。そんなに優しくされたら、……私、泣いちゃいますよ」
 その言葉通り、カローラのエメラルドグリーンの瞳には銀光の露が満たされてきた。

 ――瞬き一つで、それは雫となって頬へと零れ落ちててしまいそうなほどに。

「ふふふ、おかしいですよね。部屋ではあれだけ泣きたいと思っても、涙の一粒も流せなかったのに。――今は、こうやって上を見上げてないと零れちゃいそう」
 カローラがそう言って微笑むと、一粒の雫が月明かりの銀光を湛えながら頬へと流れ落ちた。
「ゼルドパイツァーさん、私、嫌な子なんです。――嫉妬深くて、いつまでも昔のことを根に持って……。本当は村のことだっていい気味だって思ってるんです、――私に酷いことしたからって。だから、泣けなかった……」
「違うっ!!」
 ゼルドパイツァーはそう言って、強くカローラの身体を抱き締めた。
「カローラちゃんがいなければ、きっとオレはここにはいなかった。――オレは、君にすごく感謝してるぜ。……君が自分自身を責める理由が一体何処にあるってんだ、いっぱい辛い思いをしてるからこそ、カローラちゃんはそんなに優しくなれるんじゃないか?」
「ゼルドパイツァーさん……」
 カローラは、そのままゼルドパイツァーの胸に顔を埋めると、その胸を涙で熱く濡らした。





 ――この時、ゼルドパイツァーは、あの日の夜、赤い扉の向こう側で見た、セリカの涙を思い出した。
 ……こうやって、セリカやカローラを苦しめるのは、全て愚かな『人間』たちの所業ではないか。
 そして、それまでその人間側に生きていた自分が、ゼルドパイツァーには歯痒くて仕方がなかった。
 ――と、同時に、自分は同じ過ちを繰り返すまいと、ゼルドパイツァーはそう胸に誓う。

 そんな二人のやりとりを壁の向うから見守るセリカは、こう残して古城の奥へと姿を消していった。
「もう、大丈夫ね……。ありがとう、ゼルドパイツァーさん。――本当に、ありがとう」

 こうして、この日の長い古城の夜は、静かに更けゆくのであった……。


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