第二章 胎動- D A R K F O R C E S -
By.Hikaru Inoue
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ゼルドセイバー……。
それはただ一人、火竜フレアロードに戦いを挑んで生き残った、伝説の剣聖にして、ゼルドパイツァーの祖父の名であった。
「……ヤツは儂の寝込みを襲いおってのぉ」
干柿じじいは、つい昨日のことのようにそのことを語り始めた。――大抵、じじいという類の人種は話し好きなものである。
「その悪党ヅラ、ヤツの生き写しじゃて。……うんうん、御主も見るからにチンピラの小悪党じゃて」
干柿じじいは、セリカの前でゼルドパイツァーを詰ることで悦に入り、話を続けた。
――それは、孫のゼルドパイツァーが生前の祖父に百万回は聞かされた若かりし頃の栄光とは、まるで正反対のものだった。
……祖父ゼルドセイバーは、数々の悪辣な手段を用い、飽く事無く火竜に挑みかかった。
――そして、実力で勝てないことを悟ると、次は『将棋』と呼ばれる東洋チェスで、そのルールすら知らない火竜に、卑劣な勝負を挑んだのである。
「まさか奪った駒を手駒に出来るなんて知らんかったからのぉ。……ヤツは知らぬが悪いの一点張りでの、まあ結局は飛車とかいうルークと角とかいうビショップのダブルアタックでとどめを刺してやったがの、ホッホッホッ……」
……それでもゼルドセイバーは負けたのだ。
もはや、剣でも知恵でも勝てないとわかったゼルドセイバーは、勝負の賭けで盗られた名刀・『正宗(マサ ムネ)』の腹いせに、自分の英雄譚を街中に触れ回ったのである。
「ほれ、あそこの隅で埃をかぶっておるのが、その刀じゃ。……最後まで嘘っぱちのインチキ野郎じゃったが、さてその刀も本物なものかのう?」
干柿じじいの指差すその先に、ネトリエム家に代々伝わってきたとされた名刀の姿があった。
……鞘の部分には、三ッ葉マークの細工が施されている。
「あの片喰(かたばみ)紋、ありゃ失われた名刀のマサムネじゃねーかっ。……じっちゃんの話じゃ、その身を貫かれた火竜と共に火口深く沈んでいったって」
「それも、嘘っぱちじゃな。ほれ、現にそこにあろうが」
……知らぬが仏の真実に、ゼルドパイツァーは肩を落として落胆し、太い溜め息を漏らした。
「はぁ……、呆れてものが言えねぇぜ」
頭を垂れるゼルドパイツァーを慰めるようにセリカは言った。
「あの頃のフレアロード様に戦いを挑んだことは、凄いことじゃありませんか。だって、あの頃はフレアロード様の最後のッ!! 活動期だったんですから」
最後という辺りを強調するセリカに、干柿じじいは口を梅干しのように窄めてこう呟く。
「……セリカちゃん、それって間接的に儂のことを、役立たずのよぼよぼじーさんって言ってないかい? はぁ……あの頃はよかったのぉ……」
そういうと干柿じじいは、過去の栄光に浸るように肩を落とした。
「もう、ゼルドパイツァーさんも、フレアロード様もしっかりして下さいっ!!」
気まずい雰囲気に一人とり残されたセリカは、自分が溜め息をつきたい気分で二人を一喝するのだった……。
――ここで一度、話は魔王の森を離れ、中央へと飛ぶ。
北レトレア王国……。
大陸制覇を果たした現在、国号を改め、その名を『神聖レトレア王国』という。
神聖レトレア王国の苛烈王、『エリク・レムローズ』は、雪深き古(いにしえ)の北方の王都・エーザヴェスから、大陸の中央、そのやや東の地に位置する城塞都市ガイヤートに遷都を行い、今はここ、新王都ガイヤートから大陸全土を支配していた。
……城塞都市ガイヤートは人口が三万と、王都と呼ぶにはやや小規模なものではあったが、ここは東西南北の街道が一つに交わる王国防衛の要衝で、苛烈王の常備軍として常に一万からの兵力が駐屯している。
苛烈王はここで、未だ混乱の覚めやらぬ大陸を、恐怖という秩序を用いて支配していた。
……旧南フォーリア王国の残党、
頻発する地方反乱、
そして東方の大密林の奥地にいる漆黒の魔王。
と、苛烈王の戦いは大陸を一つにした後も終わったわけではない。
「魔王討伐令など、馬鹿な賞金稼ぎどもを調子に乗せるだけではありませぬか!? そのような射幸心(しゃこうしん)剥出しの愚か者どもに、かの漆黒の魔王が倒せるものでしょうや。それはお遊びが過ぎるというもの」
白髪の宿将ハイゼンは、玉座の苛烈王に向かい、堂々とこう進言した。
ここは城塞都市ガイヤートの城内。
広い石作りの玉座の間には、この二人以外の姿はない。
……苛烈王は肩までかかる赤毛と血眼の男で、その膚の色は雪のように青白い。体付きは柔弱で、女性のように線が細く、顔は端正に整っている。
一見、女性にも見えるこの美しき青年君主の表情は常に冷淡で、その赤い瞳の奥には鋭い眼光を秘めている。
「ハイゼン」
「はっ……」
苛烈王がゆっくりと口を開くと、老将は畏まって首肯いた。
苛烈王の声に感情はなかったが、その声はボーイソプラノのように澄んだ佳音であった。
変声期を迎えていないのか、その華麗な容姿と相俟って、男と説明されなければ、初対面の人間は苛烈王のことを女王と見紛うことだろう。
……だが、その容姿がどうであれ、苛烈王のその姿からは大陸の覇者としての威厳と自信が漂っていた。
「金貨百枚とそなたの命、そのどちらに余の天秤は傾くと思うか?」
「……」
押し黙るハイゼンに、苛烈王は冷笑して続ける。
「フフッ、その程度の端金で余の精鋭を失うわけにはいかぬ。――それに始めから漆黒の魔王を倒すことなど、ヤツ等に期待してはおらぬ。其方の両眼には余がそれほど愚か者に映っているのか? フフフッ、いやその言葉は取り消そう。金など領民どもからいくらでも搾取すればよいし、行きたいヤツはあの奥深き森の中で永遠に彷徨い続ければよい。……そういえば、あの中にネトリエム家の者がいたな」
「――ゼルドパイツァーですか? 依然、その消息を断っておりますが」
ハイゼンがそう言うと、苛烈王は玉座の腕木に頬杖をついて薄ら笑う。
「フッ……英雄譚にまで語られた伝説の剣聖の血も、その末裔はこのザマか。――ところで、例の計画はどうなっている」
苛烈王がそう言って何かを示唆(しさ)すると、ハイゼンは不快さを隠せずに眉を顰めた。
「……南フォーリアの残党どもに、カリアの村を襲わせるものですか」
……カリア村とは魔王の森の付近にある農村の一つで、そこにはどの勢力にも属さない人々が百ほどの集落を形成して穏やかに暮らしていた。
――南フォーリアの残党の中には、今だに自らの『敗北』を容認出来ずにいる者たちが少なくなく、彼らはこの苛烈王が、南フォーリアを瞬く間に滅亡させたその悪魔的狂気も、裏で漆黒の魔王と通じていたのだと強く信じ、そう思い込むことで、辛うじて自己の正義を正当化しているに過ぎない。
―― 敗戦は、騎士たちの精神を腐敗させた。 ――
「余が魔王と手を結んでいるか……くくっ、言い掛りもよいところではないか。――フフッ、ならば余が漆黒の魔王と手を結び、それをカリアの村人どもを通じて行なっているのだと、そう信じさせてやればよい。……ヤツ等なりの正義を大陸中に示させてやるのだ」
――それで魔王討伐令といった狂言が出てくる。
苛烈王は漆黒の魔王との関係を常に否定してはいるが、それでいて一向に精強な正規軍を動かすわけでもなく、素性の知れぬ者達を使っての、実にママゴトじみた魔王討伐をうたっているに過ぎないのである。
「残党どもに村を襲わせれば、ヤツ等の正義は失墜する。――その時こそハイゼン、其方等正規軍の出番だ。罪無き村人を虐殺した愚かな南フォーリアの残党どもの愚行を数十倍、いやに数百倍に誇張して大陸全土に布告し、我が神聖レトレアの正義の鉄槌を、ヤツ等の頭上に打ち下ろしてやるがよい。――クククッ、……向こうから転がり込んでくる、大義名分の元にな」
全身を血の色で塗装した苛烈王、エリク・レムローズ。
――彼が乱世の王たる資質を兼ね備えているとすれば、それは彼自身の冷酷さにあった。
こうして今、
……新たなる大陸の悲劇へと向かって、その銃爪に赤き狂王の指先がかけられた……。