第二章  胎動

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


I



 『エグラード』という名で呼ばれるこの大陸を三分し、存在する三つの勢力が、その均衡を失ったのは今より十年ほど前のことだった。

 三者三竦みの三大勢力。

 北方の痩せた大地に広がる厳寒の『北レトレア王国』。

 豊かな大陸南方地域にその勢力を誇る豊穣の『南フォーリア王国』。

 そして、セリカがいる東方大陸に広がる大密林、東の森の『漆黒の魔王』がそれである。

 北レトレアも南フォーリアも互いを憎み合いを繰り返しながらも、漆黒の魔王を人類共通の敵とすることで、勢力のバランスを巧みに維持してきた。
 ……しかし、十年前のその日から、突如としてこの大陸から、漆黒の魔王の脅威が消え去ったのである。

 セリカは、言う。
「父は……、偉大なる漆黒の魔王はその時、その志し半ばにしてこの世を去りました。――父は、自らを『魔王』という人類共通の敵とすることで、人が人として共存できる為のバランスを担っていたのです。……己れ自身の身を『悪』によって汚すことで、……誰からも『愛』されず、憎まれることで」

 そして、『漆黒の魔王』、セリカの父の死とほぼ同時期に、北レトレア王国の王、レムローズ苛烈王は大陸全土に向けて、こう宣言する。





「余は北レトレアの苛烈王、エリク・レムローズである! 余はこのエグラート大陸に永遠の繁栄と秩序を齎らさんが為、南フォーリアに対し宣戦を布告する!!」

 ……この時、人間たちがその有史以来、飽きる事無く繰り返してきた『正義』の戦いが、十年前の魔王の死と時を同じくして再開されたのである。
 それまでは、漆黒の魔王の介入もあり、幾度となく繰り返された北と南の争いも、その全てが小競り合い程度に留まってきた。

 ……だが、今回のそれは、規模そのものが違った。

  『総力戦』である。

 レムローズ苛烈王が魔王の死を知り得たのかは定かではないが、彼は瞬く間に四万の大軍を南へと押し進め、不意を突かれる形で開戦へと至った南フォーリアは、ロクな抵抗すら出来ずに全軍が瓦解し、その悠久の歴史に幕を下ろした。

 こうしてエグラード大陸は、いや人類は、苛烈王によって一つに統一されたのだった。

 ……残すは東の森の脅威、漆黒の魔王セリカのみ。
「つまり、オレたちが敵だと思っていた漆黒の魔王が、実はオレたちの平和を維持してくれてたっわけか……」
 ……あの、忘れられない夜から、一夜明けた翌日の正午過ぎ。
 古城の食堂には、セリカの講義に唯々耳を傾けるゼルドパイツァーの姿があった。
「そう……なるのではないかと思いますよ。少なくとも私は、父のその背中を見て、漆黒の魔王を続けてきたつもりです」
 セリカはゼルドパイツァーの投げかける問いの全てに明確な解答を示し、そのことに対してうやむやな態度を取ることは一度としてない。
 それは、セリカ自身がゼルドパイツァーのことを信頼しきってのことのようにも見える。
 ……何処の馬の骨ともわからぬ野郎にも、万全の誠意と微笑みを見せるお人好しのセリカであった。

「で、セリカさんのスリーサイズは?」
「上から90……って、それが何の関係があるんです?」
「きゅ、90ですかッ!!!」

 ……一度だけうやむやにしたと訂正しよう。

 セリカはハァーッと一息吐いて、話の先を続ける。
「人々が一生懸命に生きているのはわかります。……戦っている人の多くが、そんな争いなど望んでいないということも。――だから私たち『精霊人(エルフ)』と呼ばれる種族の者達が、全能の神々であられる『六極神』との古の契約により、魔王役を引き受けたわけです。……私たち精霊人って相当長生きですから、管理人にはちょうど適材だったというわけですね。昔は人々に、神々の使いとも呼ばれていたそうです。……それが魔王役をやっているのですから、皮肉といえば皮肉なことです、ね」
 セリカはそう言って、白磁のティーカップを口許へと運んだ。
「でも、大陸を統一したってのに、どうして苛烈王は魔王に対して消極的なんだ? オレ等みてえな賞金目当ての、見え透いた冒険者風情を使わなくたって、強力な軍隊を幾つも持ってるじゃねーか。朱雀騎士団や、白虎騎士団とかいった」
 セリカはティーカップを白いテーブルクロスの上に置くと、その質問にも、にこやかに答えてくれた。
「それは、この深い森の木々たちが、そして火竜フレアロード様の存在が私を守ってくれるからです。……だと思いますよ」
 と、人差し指をこめかみに当てて、セリカは言った。
 確信とまではいかないらしい。

 ――火竜フレアロード。その灼熱のブレスは一瞬にして数千人の軍隊を灰に変えるという、伝説の竜王。
 その名はお伽話や英雄譚で幾度となく語られ、その度に人々の心には架空の英雄像が刻まれていった。
 そんな伝説上の化物まで、本当に実在していたのだ。
 ……ゼルドパイツァーにとってセリカのこの話は、自分の耳を疑いたくなるほど驚きの連続だった。

 ……と、ゼルドパイツァーは、ふと何かを思い出したようにこう言った。
「そういや、ゼルドセイバーのじっちゃんから百万回は聞かされた、若い頃の冒険話ってのは本当だったんだな。『伝説の火竜は存在する!!! んでホレッ、これがそのウロコ』って。――オレは、ただのほら吹きじじいって馬鹿にしてたけどよ、本当に火竜がいたなんて。……ウロコってのはかなり胡散臭いが」


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