第一章  美しきもの 

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


III



「駄目よ、フランチェスカ。脅かしちゃ」
 天使の囁き、――そう形容すべきソプラノの声が、室内を柔らかに包んだ。
「脅カシテナイ」
 その声に従うように、フランチェスカと呼ばれたワニの化物はその大口を閉じて、ワニ皮の頬を生意気にも赤く染めた。
 ちっとも可愛くなどない。
「うおぉぉぉおおおおおおおお!!」
 ゼルドパイツァーは間髪入れず二度目の絶叫を発した!
 どちらかというと、歓喜の声だ。
「あ、あの、その……。――お元気みたいで」
 不意の絶叫は、その天使の声の持ち主を怯ませた。
 多少、怖怖しくゼルドパイツァーの方へと近寄ると、その声の主は、無理に作った笑みを頬に浮かべて見せた。
「良かった、気が付いたみたいで」
「うっひょぉぉぉぉぉぉおおおおおおッ!!」
「ひ、ひぃ!」
 ゼルドパイツァーは上擦り声で、絶叫の三連斉射を決めた!
 ゼルドパイツァーの興奮も無理はない。
 その声の主の容姿は、まさに天上に住まう麗しき天使そのものであったのだ。
 掻い摘んで言えば、美人!
 しかも、極上!
 湖水のように澄んだ水色の瞳に、薔薇のように赤い魅惑の唇。――その膚は無地の絹のようにきめ細かく純白で、髪の色は萌え出春の息吹のような鮮やかな緑だった。
 ……美女という言葉で形容するには、さらに絶世と付け加えなければなるまい。
 それほど、彼女の姿は神々しく美しかった。
 ……ただ、耳の形が人のそれとは異なり、人差し指二本分弱ほどの長さの細長の耳が、横方向へと突き出るように伸びている。





「見目麗しきお嬢さぁん、我が名はゼルドパイツァー! ――世に蔓延る悪を打ち砕き、正義とは何ぞやと人々に問う、愛と正義と勇気の伝導師なのでありまぁす!!」
 自分が瀕死なのも忘れて、ゼルドパイツァーはベットから飛び起きると、ワニの化物フランチェスカを押し退け、一方的にそう捲くし立てた。
「はぁ、ゼルドパイツァーさんですか。――邸では宗教の類はお断わりしておりますので」
 文字通り死力を尽くして食い下がるゼルドパイツァーを心配そうに見やると、緑髪の美女はゼルドパイツァーの両肩に手をやり、ベットへと押し戻した。
 彼女の力は、その細腕からは想像もつかないほどの膂力だった。
 しかし、ゴキブリ級の生命力と繁殖力を誇るゼルドパイツァーは、その程度で怯む野郎ではない。
 もっと下衆で、根性の曲がりきった野郎(下郎)なのだ!!
「お嬢さん、お名前を……。できれば、スリーサイズも添えて」
 ゼルドパイツァーは、緑髪の美女の白い御手を汚すように、便所に行っても手も洗わないようなその小汚い両手で包み込むと、執拗にそう迫った。
 ……この気力をもっと別の方向へ向けていれば、彼は大成していたかも知れない。
「私は、セリカ。――セリカ・エルシィです」
「おお、セリカ姫! ――御名前の方もなんと麗しい!! うーんっ」
「ひいっ!」
 ゼルドパイツァーはそのまま、セリカの顔を引き寄せると、セリカの魅惑の唇目指して、自らの汚らわしい口をタコのように尖らせた。
 ……これには、さすがに身の危険を感じたようで、セリカの顔が見る見る内に青ざめて行った。
「うーんっ」

  ガブリッ!!

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁああああああああッ!!!」
 それは、セリカの身に危険を感じたフランチェスカの、本能の一撃だった!
 フランチェスカの死の接吻が、ゼルドパイツァーの頭を首の付け根まで、一気に飲み込んだのである。
 ゼルドパイツァーはそのまま、絶叫と共に鮮血を吹き上げ、血の海に沈むのだった……。
 正義のワニ、フランチェスカによって、純真無垢な天使の純潔は守られた。
 何処ぞのヒーロー曰く、正義は勝つのだ。 逆を言わせてもらえば、勝った者が正義といえる。
 世の無常を、その命と引き替えに知るゼルドパイツァーであった。
 なまんだぶ、なまんだぶ……。


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