第一章  美しきもの 

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


II



 ……目の前が白くぼんやりとしている。
 身体は羽のように軽く、宙をふんわりと漂っている感じだ。
「オレもついにここまで来ちまったかぁ……。ビックになるって田舎を飛び出しはしたものの、街でこなされ、挙げ句の果てには森で飢え死に。――まあ、行いが善かった分、天国には辿り着けたようだ」
 そう言うと、ゼルドパイツァーの頬が弛んだ。
「可愛い天使のねーちゃんと、いーちゃいちゃ、いーちゃいちゃ。――今夜は帰さねえぜ、ベイベー」

  ぐるるるるるるるぅぅぅぅぅ……。

 死んだはずの肉体が、また情けない悲鳴をあげた。
 そう、無性に腹が減っているのだ。
 おかしい、死んでいる人間が腹が減るわけがない。――と思うゼルドパイツァーであった。
 ゼルドパイツァーがボケボケの脳みそをフル回転させ、無い知恵をその一滴まで絞り尽くすと、ようやく自分の置かれた状況が理解できた。
 ……ちょっぴりとね。
「は、腹が減って死にそうだ。――って、死んでんのかぁ? 身体も節々が痛ぇ!!」
 次第に身体の方が活性化してくると、空腹や痛みの方も二乗して活性化してきた。
 ……感覚はある。
 ただ、唯一腑に落ちないのは、目の前が白く漠然としていることだけだ。
「目を開ければよいだけのことではないか」
 ごく単純な答えに気付いたゼルドパイツァーは、その重く閉じられた瞼を渾身の力を込めて開く。
 彼の疲労はピークに達している。
 弛んだ瞼の皮でさえ、彼を億劫にさせるには十分だった。
「んああぁぁぁ……」
 と、ゼルドパイツァーがあくびをして、そのドス黒い漆黒の瞳に光を宿らせると、漠然とした白い光の正体が、瞼を貫いてきた朝日の陽光であることがわかった。
 鎧戸の隙間から差し込んでくる規則正しく並んだ光の帯は、ハープの弦のように美しく、金色の光をゼルドパイツァーの元へと運んでいた。
 だが、その刹那! ゼルドパイツァーの顔を黒い影が覆った。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」
 ゼルドパイツァーの絶叫が室内にこだまする!!!
 その影の主は、ワニ皮の皮膚を持ち、その瞳は獲物を見定めた猛禽のように鋭い。
 ――何より恐ろしいのは二つにパックリと割れた大きな口で、銀光を湛えた刃の羅列は、ゼルドパイツァーの頭など一口でパクリのサイズだった。
 ゼルドパイツァーは地獄を見た。
 腹を空かせているのは、自分より目の前に大口を開く巨大なワニの怪物の方ではないか!!
 こんなことなら目なんか開けるんじゃなかった!
 ――ゼルドパイツァーは今際の際に、餌となる身を呪いながら、そう念仏のように呟くのだった。
「いやだぁぁぁぁあああッ! 助けてくれぇぇぇぇえええ!」
 ……往生際の悪さは、今に始まったことではないらしい。


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