第一章  美しきもの 

        - D A R K F O R C E S -   

  By.Hikaru Inoue 


I



「ここまで来たはいいが、魔王なんて何処にいるんだぁ」
 息も絶え絶え、男は剣を杖代わりに、深い森の中を延々と彷徨っていた。
 蒼いグラデーションの頂点で燦々と輝く太陽の恵みも、背の高い木々たちに阻まれ、日中にも関わらず辺りは不気味に薄暗い。
 所々には、金の槍となった木漏れ日が、深緑の大地に光の絨毯を描き出している。
 その光の角度だけが男に時の流れを教えてくれた。
「勘弁してくれよぉ……行けども、行けども、木、木、木とくらぁ」
 男の名はゼルドパイツァー。
 身の丈は常人より握り拳二つ分ほど高く、光線の具合によって黒くも見える茶色い髪、切れ長の瞳の奥は悪徳商人の腹よりもドス黒く、肌はこんがり小麦色に焼けている。
 ……掻い摘んでいえば、ただの『悪人』であろう。
 それも小悪党。
 チンピラとも、ダニとも呼ばれる。
「だ、誰がダニじゃぁぁぁぁぁああ!」
 ゼルドパイツァーの独り言が、森の中に虚しくこだました。――すきっ腹に絶叫がこたえた様子で、今にも倒れそうである。
 まあ、こんな世に害をなすダニは、人知れず深い森で行き倒れた方が、世の中の為ともいえるが。
「ふん、……もういいっ」
 この男がろくな装備もなしに、この際限無く底無しに深い森へとやって来たのは、それなりの理由があった。
 別に好きでこんな森の中へ来ているわけではない。
 それがまた、一層バカバカしさを増してはいたが。
 ――それは、十日ほど前の出来事であった。
 大陸の覇者、神聖レトレア王国の苛烈王が布告した『魔王討伐令』の賞金に欲が眩んだ為である。
「違ぁう! ……はぁはぁ、オレは代々伝わる由緒正しい勇者の家系の者としてだな」
 駄目な男ほど口数の多いものである。
 ダニの弁解などは横に置いて、話を続ける。
「くうぅぅぅ……」
 この男ゼルドパイツァーは、愚かにも受け取った前金の金貨百枚をその日の内に使いきり、派手に豪遊したのだった……。
 ――街一番の酒場を貸し切りにして、街中の綺麗所を侍らせた。
 それはもう、筆舌に尽くしがたいほどの遊興ぶりで、彼の人生をその日一日で全て使いきったと言い切っても過言ではなかった。
 そう、その日一日で彼の人生は終わったのだ。
 次の日、我に返ったゼルドパイツァーを待っていたのは過酷で非情な現実だった……。
 一夜のバカ騒ぎで、冒険資金のほぼ全てを喪失、およそ無一文でこの危険に満ち溢れた『魔王の森』へと向かう羽目に相成ったわけである。
 もちろん逃げ出すわけにはいかなかった。――逃げれば明日から、自分が賞金首の人生の幕開けなのである。





 彼は渋々、酒場の店員から受け取ったお釣りの銅貨二枚を握り締め、近くのパン屋で焼きたてホカホカのパンを買えるだけ買って、小汚い鼠色のずた袋の中に詰め込み、王都・城塞都市ガイヤートを後にしたのだった。
 しかも、そのパンさえ、この魔王の森に辿り着く前に食べ切ってしまっていたのだ。

  ぐるるるるるるるぅぅぅぅぅ……。

 ゼルドパイツァーの腹の奥底から、虚しい悲鳴が聞こえた。――頬は痩け、腹の方はその空腹に比例するように深く抉れていた。
 ……無理もない、最後の食事から、すでに五日が経過しているのだ。
「あぁー、メシ喰いてぇ……、メシ喰いて……」

  バタッ!

 ついに精魂尽き果てたゼルトパイツァーが、その空腹に敗北を認めるように膝を折った。
 ――ゼルドパイツァーの身体は、重力に抗うことなく、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
 あーぁ、……ほんとにこれで終わっちまうのか、おいっ!


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