第四章
      

  - 野心と命と天秤と -

  By.Hikaru Inoue 


VIII






 黒の鉄騎団四千が、怒涛の進撃で南下した。
 この時、レミルら旧皇帝軍の本隊兵力は、一万四千。
 レミルはこの日、七月四日。正面決戦兵力の四分の一を、その翼の片翼を消失した。
 黒の鉄騎団四千は、その日の夕刻にはケインズベリー砦へと到達。即座に、砦の陥落に息巻く苛烈王軍二千に、槍先を揃えて一斉突撃した。
 まさにそれは黒の疾風! 苛烈王軍二千は意気に任せて反撃を試みるも瞬く間に、黒の鉄騎兵の波に飲まれ、勝敗は僅か一時ももたずに決した。
 将を失い逃げ惑う苛烈王軍兵士に目もくれず、黒の鉄騎団四千は、すぐさまライラック砦を包囲する敵軍を襲撃した。七月五日の未明である。
 そのあまりの進撃速度に、苛烈王の増援軍は出し抜かれ、ライラック砦を黒の鉄騎団が抜いた時、その増援軍の先陣五百と遭遇した。
 苛烈王軍の増援部隊は強行軍で兵を押し進めたため、戦列は長く伸びきり、そのことで黒の鉄騎団の猛突撃に、その脇腹をさらすことになる。さすがに、苛烈王軍も前列を失いつつも反撃態勢を整え、歩兵隊が剣を連ねて防御壁を形成したが、そこに至までに千五百が四散し、三千五百の歩兵隊で、四千騎の重装騎兵の一団と決戦することとなった。
 勝敗など、戦う前からすでに決していた。四千もの重装騎兵相手に、たかだか三千五百の歩兵隊がまともに戦えるはずもないのだ。ゆうに二メートルを超える重槍を脇に抱えた重装騎兵が、四百の横長い隊列を組み、それを十段階に分けて波状突撃を繰り返す。
 大地は揺れ、激しく響く蹄鉄の鼓動。これはレオクス鉄槌王軍が得意とする、まさに鉄槌を振り回すが如き猛突撃である。これを野戦で受けとめるには二万の兵を要するだろう。しかし、苛烈王軍の歩兵は僅か三千五百。貴重な騎兵は苛烈王本隊三万五千と共にある。
 苛烈王軍の増援部隊は、悉く蹂躙された。だが、彼らも苛烈王軍の誇りにかけて、必死の抵抗を繰り返し、最終的な勝敗が決するのには二時間を要した。
 鉄槌王軍の黒の鉄騎兵四千は僅かばかりの被害も受けることもなかったが、昼夜に渡る戦闘と疲労で、その態勢を立て直すのに約半日を要した。
 この時点で取って返せば、まだ十分にレミルら本隊一万四千と合流することが可能であったが、このまま南下を続けて二つの砦を抜けば、その決戦には間に合わぬかもしれない。
 そんな中、美髪王レミルから、一通の指令書が届いた。その内容は、この華々しい黒の鉄騎団の勝利を予知した内容であった。
『転ずる必要無し。ただちにアースウッド・ウィリントン両砦を囲む、後方の敵部隊を殲滅せよ』
 黒い嘶きは、南進する。
 レミルの決戦の時は近い。そして、セララ率いるウィリントン砦の陥落も、すでに目前へと達していた。

 黒の騎兵団は進行速度を上げるため隊を二分し、各々二千騎で、アースウッド・ウィリントン砦へと強行した。まだ、決戦に参ずる可能性に賭けて、である。
 そして七月七日の未明には、最後の抵抗を続けるセララ守備隊の守るウィリントンへと到達した。すでに、アースウッド砦は陥落しており、アースウッドでは黒き騎兵二千による攻略戦が開始されていた。
「セララ様、包囲軍の後方が動揺しています!」
「援軍が……来たのか、」
 疲労しきった様子の守備兵の一人が、待ちに待った援軍到着を高らかにセララに告げた。他の守備兵も、その報せに俄然意気を取り戻す。唯一、そんな中、表情を曇らせたのはセララ本人であった。
(レミル様は、我らが美髪王陛下は、こんなちっぽけな勝利の為に、決戦をお捨てになられたとでもいうのか? 我らは人柱。兵やその家族、村民たちには悪いが、決戦とは勝たねば全てを失うもの。砦一つの問題では、ない。もし、これが慈悲なら、我らが王は皇帝には、なれない)
 セララは高らかに剣を突き上げ、守備隊を鼓舞する! 地平から微かに覗いた陽光が、セララの剣先を輝かせた。
「全ての石弓を射ち尽くせ! 敵を挟み撃ちにするぞ。敵は弓隊が主体の編成である、野戦ともなれば、ひとたまりもなく駆逐されるであろう!! 放てッ!!!」
 砦からの一斉射撃が開始された。もう正規の守備兵ではなく、村民や娘が石弓を持つ姿さえ目立つ。まさに、最後の抵抗である。
 敵、苛烈王の包囲軍は、弓隊を後方の砦にあて、歩兵隊を再編成して、黒の鉄騎団二千との決戦に備える。砦の攻略の長期化により、苛烈王包囲軍は柔軟な兵の運用を困難にしていた。もちろん、そんな時間を黒の鉄騎団が与えるハズもなく、騎兵隊二千は強行軍を即座にまとめ、一列四百、五層の突撃陣を形成していた。
 砦の激しい攻撃に応じて、苛烈王軍弓隊も激しくそれに応戦した。まるで雨の様に飛びかう矢の中に、その身をさらしてセララは石弓を放ち続けた。
「苛烈王軍は、混乱しているぞッ! 味方が敵をこの砦に押し潰そうとしている! 激しく矢の雨を降らして…ウッ!!」
 その時、セララの右腕と脇腹を矢が貫いた! セララはそのまま仰向けに倒れる。
「セララ様ッ!!」
「喋るヒマがあるなら、味方を援護しろっ!! 射ち続けるんだッ!!!」
 セララは朝焼けに染まる空を見上げながら、左手で脇腹の傷口を押さえる。
 セララの周りから一瞬、音が消える。
(……痛みと出血で、頭がぼっとする。空が赤い…、もうすぐ突撃が始まる、もう、戦わなくていい。わたしは、きっと良くやった。……良くやったよね、母さま。――恋がしたかった、愛したかった、愛されたかった……そしてわたしは、そんな若者たちを、死地へと追いやった……)
「セララ様、セララ様ッ!!!」
 守備兵の一人がセララに力強く声をかける。朦朧とする意識の中で、セララはその兵士に、こう呟いた。
「フフッ、この腕ではもう、剣も握れん……な」
 そのままセララはピクリとも動かなくなった。兵士はそれでも声をかけ続ける、セララ様、セララ様、と。

 大地を揺さ振る振動、黒の鉄騎団の波状突撃が始まった。
 疾風怒涛の黒い進撃が、砦という岸壁に押し寄せる。苛烈王軍の歩兵は第一波の四百騎すら受けとめられずに、脆弱な弓隊部分までの侵入をゆるした。蹂躙され尽くす苛烈王軍。続いて、第二波、第三波と、黒い一団が津波となって押し寄せた。
 ……勝敗は決した。
 黒の鉄騎団はその日の早朝、アースウッド、ウィリントン両砦を奪還した。