第四章
      

  - 野心と命と天秤と -

  By.Hikaru Inoue 


V






 この年の夏、帝国を二分する戦いが起きようとしていた。
 大規模な、そして有史以来初となる、選帝侯同士が各々の大同盟によって、雌雄を決するという、この帝国の存在意義さえ崩壊させかねない戦いである。
 人は、帝国という枠組みを作り、一致団結することで、外敵である西の脅威、
 『魔王』
 と、対峙してきた。
 しかしその方程式が崩れ去った今となっては、外に向けられるハズの闘争本能というエネルギーが、内側に、ストレスというカタチでぶつけられたとしても、それは至極当然のことであろう。
 神がこの大地に、チェス板を刻み付けたのなら、当然、駒は戦い続ける。例えそれが神の手を離れていたとしても、ナイトは駆け出し、ルークは盾となり、そしてクィーンは悠然と進撃する。

 美髪王レミル、その軍勢は一万。
 皇城ドーラベルン、皇帝直轄領を有し、表面上の帝国の支配者ともいえる。
 うら若き美貌のクィーンは、地理的絶対優位を捨て、帝国の未来を決する場所を、ガルナベルト平原に定めた。
 レオクス鉄槌王、まさにそのクィーンを守護奉るルーク。機動軍勢八千は、鋼鉄に纏われた重装騎兵でありながら、その驚異的機動力で、瞬く間にクィーンを護る鎧となって、如何なる場所にも布陣する。まさに生きた城塞。その黒色に統一された鋼鉄騎兵たちをみて、怯まぬ兵などいはしないだろう。帝国の要害を常に、魔王という脅威から守り続けてきた彼らは、この帝国内で唯一、実戦というものを歴史で重ねてきた猛者たちなのである。恐れを知らぬ八千騎の怒涛の進撃は、ガルナベルト平原を震撼させることだろう。騎兵八千騎は、帝国全軍の三割を超える数である。例え、対するレムローズが総動員して混成部隊を編成しても、その騎兵は四千騎にも満たないだろう。
 総勢一万八千の美髪王レミル・レオクス鉄槌王大同盟軍に対するは、その数に於いてレミル軍を圧倒する、レムローズ苛烈王を盟主とする大同盟軍である。
 レムローズ苛烈王の五万の軍勢を筆頭に、ハイランド北海王軍一万五千、フォリナー慈愛王軍二万がその軍列に名を連ねる。
 戦の勝敗が数の論理である以上、ウィルハルト聖剣王が加勢しない小娘の軍よりも、より優勢で覇気に富むレムローズ苛烈王に、二選帝侯が連なるのも、むしろ当然といえた。
 叡知王時代、四万余のノウエル叡知王軍に、レオクス鉄槌王軍二万、ウィルハルト聖剣王軍二万が付き従う状況下では、レムローズ苛烈王一人が覇を唱えたところで、二選帝侯が動くことなどありはしなかっただろう。
 しかし、時代が、歴史がレムローズ苛烈王を求めたのだ。
 となれば、最も甘い蜜を吸うために、王者に付き従うというのが、王道というもの。
 二選帝侯が夢見るは、叡知王時代の聖剣王家の栄華である。国力では大きく劣るものの、聖剣王家は、その勢いにおいて苛烈王家すら退けていた。
 すなわち、王者と美酒を酌み交わすことのできる権利は、ナンバー2にのみ与えられる特権なのである。……この誘惑は、へたな正義などを押して強烈であった。

 これら、帝国の覇権を競う二つの勢力を、旧皇帝軍、反皇帝軍と呼称しよう。
 当然、前者がレミルであるのだが、そのレミル側である旧皇帝軍は戦う前からすでに劣勢であることは誰の目にも明らかであった。
 兵力差にして約五倍。この差はレムローズ侯が皇都レトレア、巨城ドーラベルン攻略に不可欠な軍勢として召集した結果であるが、レミルがドーラベルンを決戦の場と定めるなら五倍差とはいえ、まちがいなく五分である。ドーラベルンにはカタパルト(投石の攻城兵器)すら通用せず、兵力二万に対する四年分以上の食料を余裕で備蓄し、その絶壁ともよべる城壁から無数に浴びせられる石弓を受けながら、反皇帝軍は数による分厚い青銅の城門を突破しか策はない。反皇帝軍の継戦力は、長くて一年。攻略に要する時間は、最速で六ヵ月といったところだろう。
 しかし、レミルら旧皇帝軍が平原での正面決戦を挑んだ以上、苛烈王はその戦に勝っても、決してドーラベルンに引かせてはいけない。真の勝利は、旧皇帝軍の殲滅である。これを達成出来ずに多少の損害を与えただけで引かせては、反皇帝軍はドーラベルンへとおびきだされ、補給線を最大に延ばした上での難攻不落のドーラベルンの攻城戦と相成ってしまう。よって、皇城ドーラベルンを有する旧皇帝軍の兵士たちの士気は、劣勢とはいえ高く、勇猛である。
 ガルナベルト平原は二つの長い山脈の間に帯状に広がる平原で、地理的にドーラベルンへの撤退は容易である。しかも皇都へと続く途上の砦は、全て旧皇帝軍、レミルの所有するノウエル王家の砦である。レムローズ侯がレミルたち旧皇帝軍に圧勝するには、これら退路上にある複数の砦の攻略がどうしても不可欠であった。
 よって、この内戦の火蓋は、二大勢力の大規模な会戦という形ではなく、その砦を攻略するために編成された反皇帝軍の別動隊と、砦の守備隊との戦いという形で幕を開けた。

 レムローズ苛烈王軍の二千を数える機動部隊が、三百の守備隊の立て篭もるウィリントン砦を急襲したのは、平原が鮮やかな緑に萌える七月二日の早朝であった。

 これらと同様の戦いが、ケインズベリー、アイスウッド、ライラック砦でも開始された……。