第四章
      

  - 野心と命と天秤と -

  By.Hikaru Inoue 


IV






 リリスはその日、ご機嫌だった。
 レムローズとの会見がうまくいったというより、レムローズの持つ毒気に当てられたといっても過言ではない。
 若く美しき青年君主。その美しさもハンパではないうえ、想像を遥かに超えて慇懃で善良な人間に見えてしまったのだ。
 当然、ディナーにもご招待を受けたし、そこでまた最高のもてなしを受けた。
 レムローズと二人、いくつものキャンドルに照らされた豪奢な部屋は、暖かさという言葉に満ち溢れた。久しく味わったことのなかった恋人気分というやつを、不覚にも三十女は味わってしまったのだッ!!
 一言で言うなら、もうメロメロ。
 レムローズ=悪太郎 の図式が180度反転して、リリスの頭のなかからは、黒づくめのどっかの田舎伯爵の『エ』の字も吹っ飛んでいた。
 そろそろ適齢期。超がつく美男子、家付き(大王家)、ジジババ抜きの三拍子揃ったこの青年君主から求婚などされた日にはと想像したら、その夜、リリスはニヤける顔を押さえ切れず、そのだらしない顔を枕に押し付けた。
 天蓋付きのベッドもこれまた豪奢で、床にゴザクラスの待遇を受けていた自分を憐れむ三十路乙女は、部屋いっぱいに詰め込んだ羽毛の中に飛び込むような、ほんわりふかふか感に浸っていた。
 これで寝所にレムローズが尋ねてきてくれれば、まさに言うことなしなのだが、初デート(と、思い込んでいる)でそこまでのおねだりは、さすがに図々しいだろう。
 身持ちの固さが、かの麗しき青年君主の美点であるのだからと、好きで身持ちが固いわけでもないリリスは、勝手に思い込んだりもしていた。
 ゴロゴロ、ゴロゴロ……、と枕を顔に押し当てて、ベッドの上を転がり続けるリリス。
 この興奮を覚ます術など、男性経験浅はかなリリスが知るはずもなく、結局は蜜に群がる草むしり侍女どもと、何らかわるところのない女なのだと、自らを証明してしまう。
 某黒マント伯爵の世話を神への信仰とばかりに(元シスター)行なう、ルフィアの乙女チック度に比べれば、リリスの忠勤など、まるで萌えのカケラもない、でかい宝石にころころ目移りするだけの、雛型をポンと押されて出来たような、そこらに転がる玉の輿女そのもののようでもある。
「フフン、綺麗ごと、ぬかしてんじゃないわよ。世の中、勝つか負けるかなのよっ。イモ引いたヤツが、負ける。そして、わたしは勝つ!!」
 などと、ささやかな中傷をはねのけるくらいの台詞を吐けるほど、今のリリスは夢心地なのであった。
 こんな、夢の中どっぷりのリリス君とは対照的に、もう片方のイケてない青年君主は、悩みのまっただ中にあった。

 場所は変わって、エル・ランゼの居城。
 ほんわか明かりを照らすお月さまを、憂欝に見つめる某エル氏の姿があった。
「某、付きかよ!! フッ、まあいいさ……。やな役目はリリスに押し付けたし、オレ様の未来もそう捨てたもんじゃねぇ」
 と、苦笑するエル・ランゼ。内心はとても、穏やかとは言い難かった。
「てかよ、なじぇ、レミルちゃんがファザコンやねーーーーんっ!! ミーの計画、あかんやないですの。なじぇ、鉄槌王? なじぇ、オヤジ??」
 そう、エル・ランゼは、レミルとレオクス鉄槌王の仲睦まじさを、放った間者で知り得ていたのである。帝国と天秤にかけても、そっちを選んでしまうほどの魅力をもった絶世にして希代の萌え乙女、レミルちゃんを、どこの馬の骨(譜代の大選帝侯家当主)とも知らぬオッサンにかっさらわれたあっては、若いモンとして、黙っていられようハズもなかった。オッサンの腕の中に包まれる乙女を想像などした日には、その歯痒さに歯茎から出血するような思いであろう。
「うぉーーーー、オレにどうせいっちゅーーーうねんな。皇都から離れたこのへんきょーで、散らされる乙女の純潔をだまって見とれちゅーーーうのかっ!! そう、ここは遠い、遠すぎなんじゃい!!!」
 本能の赴くがままに、絶叫を繰り返す、無駄にエネルギーを溢れさせた二十代半ばの青年君主。満たされぬ想いに日々モンモンとさせられ、目の下にはクマが出来る始末である。
「ここは手堅く、萌え度に於いては、引けをとらぬルフィアちゃんで手を打つという策も。そして、二人は幸せな家庭を築気、辺境でシアワセに暮らしました、とさ……。おい、オレよ、そりゃいくらなんでも、ルフィアちゃんに失礼だろうょ。大学受験の保険じゃねぇんだぜ、レミルちゃんーを左手にーっ、ルフィアちゃーんを右手にーっ、つうもんだべ、漢(オトコ)ってヤツはよぉ……。ただ、思うだけじゃ仕方ねぇ、仕方ねぇんだよ。具体的に何をやりゃ、実現可能かってことだよ。オレは起きていながら、夢を見続けていたい」
 言うことだけは、微妙に立派であったが、かといって決意だけではどうしようもないというのが現実であった。どこまで何を妥協して、何を取るのかという明確な意志なくしては、何も変わるハズもないのだ。
「リリスのやつを犠牲に、帝国で一番幅きかせてやがる苛烈王にコンタクト、エーンド利用する。まずは、帝国の実権を握らなければお話にもならんからな。我が愛しきレミル姫は堅牢なドーラベルンという監獄に、鉄槌王なるオッサンの監守付きで捕われている。ドーラベルンは帝国一の堅城、オレに五万、十万の兵があっても抜くのは至難の業。と、なればだ。門は内側から開けさせるしかねぇってことよ、な」
 エル・ランゼの顔が一瞬、鷹の目を持つ君主の顔に変わる。だがこれも、原動力はモンモンとした欲求不満からであった。
「なんにしても、帝国! オレには帝国が必要なんだよ!! でねえとオレはビックになれねぇ、永遠、田舎の殿様じゃーーーッ!!!」
 エル・ランゼのその絶叫も、実を伴わなければ、ただの虚しい叫びであった……。
「これからやるって時にョ、悲しいナレーション、やめてくれる?」
 それはまさに、勇者の旅立ちに相応しいとさえいえる雄叫びであった……。
「……また、とって付けたような。まぁ、世の中、そんなモンかもな」