第三章
      

  - 渦中へ -

  By.Hikaru Inoue 


VIII






 西の大陸、主人を失った魔王領は、独立したエル・ランゼ領を除くと、皆一様に荒廃の一途をたどっていた。
 前魔王・ディナス領は特に劣悪で、戦争の傷跡よりも食料不足の方が、より大きな脅威となって十数万の餓死者を出す結果となる。
 魔王領に暮らすのも、共に同じ赤い血を流す人間である。ただ、少しだけ、ほんの少しだけ容姿が違うだけの、ただの人間である。
 恐怖の蔓延する魔王領には、その日を生きるために盗みに手を染める者の姿も後を絶たず、市街の追剥ぎは、手提げ篭に入った、たった一斤のパンを奪うのにその命を奪った。
 当然、このような状態が長く続くハズもない。……ディナスの栄華を信じるものは、そんなささやかな望みに明日を託すしかなかった。
 ……そして、その救い主など、誰でも良かった。

 大陸歴三千十三年のこの春。魔王領、北方の雄・四天王ホーネルが、他の二人の四天王の許しも得ず、ディナス中央魔王領へと入った。
 荷車三千台に満載された小麦とともに。
 これは、現四天王筆頭マヴルと、帝国への要としてエル・ランゼと共に魔王領を守護してきた四天王マイオストに、重大な危機感を与えることとなる。
 そして、魔王領の西の果てに位置するマヴル領を訪れる、銀髪の一人の男の姿があった。
「止まれ、何者だっ!?」
 銀髪の男はマヴル城の門兵に行く手を阻まれる。
 銀髪の男は丁寧におじぎをすると、門兵に向かってこう言った。
「マイオスト来たって、マヴルに伝えてくれる?」
「マ、マ、マ、マイオスト閣下でありましたかっ。こ、これは大変失礼なことを致しました。はい、ただ今すぐに、主人にお伝えいたします!!」
「はい、ごくろうさん」
 それから直ぐ様マイオストはマヴルの元に通され、門兵からは百ぺんくらい頭を下げられた。

「ふふっ……シビレたか、マイオスト」
 黒と赤の調度品に豪奢に飾られた一室で、長椅子にもたれながらそう言ったのは、現在の四天王筆頭の立場にある、仮面の男、マヴルであった。マヴルの背丈は、マイオストの一回りは小柄であったが、その冷徹な眼差し、背中に感じることの出来るオーラから、これが本物の悪魔なのだとさえ実感させる圧力があった。胸部を覆う大きめの銀の胸当ては、マヴルのそのまがまがしさから、二つの心臓を守るチェストとそう呼ばれた。
 マイオストはマヴルと向き合うようにして席へと座り、足組んだ。
「ホーネルのイヤミが、食料満載の荷車持って魔王城に入城したのは聞いたろ? だいたいやることがきたねーかんな。釣り餌が豪華なぶん、ちょーどいい人気取りにはなるだろーが、実はその倍、いや数倍は運び込まれてるらしーじゃねーか。残りは兵糧に決まってるぜ。そして、その兵はその食いもんを代金に現地調達って感じだろーな。嘘っぱち200%の慈愛、博愛、世界平和の演説で、困ったヤツに高利貸しをやるよーなヤツだ」
「フッ、何もせずに十数万を餓死させた我らより、少しはマシというものだろう。もっとも、我らとてその余裕はないが。……では、どうしてホーネルはそれだけの食料を用意出来たかということになる。元々、痩せた北の大地にそれだけの余裕などあるハズもない。どうやら、フォリナー慈愛王辺りから送られたものらしいな。北の北海王経由でな」
「魔族も人間もあったもんじゃねーな。結局は自己利益優先ってヤツか、何考えてんだか」
 あきれ顔のマイオストに、フフッと笑みを見せるとマヴルは凍り付くような冷たい声で言った。
「人は誰とて心の闇に本能という無邪気で無慈悲な悪魔を飼っている。それは魔族も人間も同じだ。欲求が満たされるまで、この悪魔の囁きは途切れることはない。これは慈愛王の狙いとホーネルの野望が合致しただけに過ぎぬ。この魔王領が荒れれば、我ら四天王は弱体化する。そして人間の皇帝は未だ定まってはいない。見かけより賢いはずのお前なら、この意味する所がわからんでもあるまい」
 マイオストは押し黙り、暫らくしてからこう答えた。
「……戦争、だな。それも大戦規模の、」
「クククッ、その通り。人は、我々は生まれたときから争うことを宿命付けられた生き物なのだ。これは、神々のチェスなのだよ。――……その駒にされる我らは、たまったものではないが、な」
 こうして間もなく、魔王領では次期魔王を巡る四天王たちの争いは始められた。
 先手は、ディナス領から数万を超える兵力をもぎ取ったホーネル。
 後手に回されたマヴルは直ぐ様号令し、十万を超える大兵力となった中央のホーネルに備えた。
 東のマイオスト軍は、帝国との境、特にマイオスト領とディナス領に接するエル・ランゼの軍に対するため、その動きを封じられた。
 この西大陸の動乱が東大陸の人間たちに飛び火するかのように、帝国は史上最大規模の内戦に突入する。

  苛烈王、起つ!!

 北東の雄、レムローズ苛烈王が皇都レトレアを占拠するノウエル美髪王レミルに対し、総勢十万余の兵を以てその挙に出た。苛烈王の軍勢には、ハイランド北海王、フォリナー慈愛王、そして夢魔伯爵エル・ランゼの三選帝侯がその名を連ねる。
 レムローズ苛烈王は、選帝侯会議を必要としない帝国の新体制を望んだ。故に、この内戦は初めてその選帝侯会議を通さない、また必要としない、選帝侯同士の内戦となる。
 対するレミルの軍勢は、辺境守護でその半分の兵しか挙げることの出来ぬレオクス鉄槌王軍八千と、ノウエル美髪王軍一万を併せた、総勢一万八千。
 戦が数で決せられることなど誰もが承知するそんな中、それでもレミルは五倍の敵勢に対して、落着き払っていたという。
「所詮は、逆賊。偉大なる神聖レトレアの、その皇帝の威光の象徴たる選帝侯会議を軽んじ、ましてやこの帝国に不要な争いを持ち込もうとする愚か者どもに、神聖なるレトレアの都を土足で踏ませるわけにはゆかぬ。このノウエル美髪王レミル、皇都レトレアをあずかる者として、菊華の御紋、太陽旗の旗の元、全力を持って逆賊を討って御覧にいれるッ!!」

 皇都レトレアに春の終わりを告げた、苛烈王の挙。

 ノウエル美髪王レミル、十七才の夏。
 少女はうっすらと微笑みを浮かべて、帝国を二分する戦いの渦中へとその足を踏み入れた……。