第三章
      

  - 渦中へ -

  By.Hikaru Inoue 


VI






 レミルがマンセル伯爵軍を下したことにより、この内戦の勝敗は決した。
 レオクス鉄槌王の加勢により、すでに一万六千の大軍へと膨れ上がったノウエル美髪王軍に、僅か七千のゲイラート侯爵軍は、成す術なく降伏。レミルはノウエル美髪王領平定を宣言し、ゲイラート侯爵カウームからその爵位と領地を没収し、ハイゼン男爵エリオットにマンセル伯爵号とその領地を与えた。
 これにより、ノウエル美髪王領はレミルの手による完全統一がなされ、レミルは中央の皇都レトレアを、西のレオクス鉄槌王領、北西のノウエル美髪王領という磐石の構えにより、治めることとなる。
 これはレミルが、次期帝位争いに大きく一歩抜きん出たといっても過言ではない。
 もちろんそれは、他の選帝侯の思惑を遥かに超えたものであり、特に次期帝位を自らの口に上らせる北東の雄、レムローズ苛烈王などにとっては全く面白くない事態だと言えた。
 レミルが反乱によって自滅すれば、自ずと風向きがこちらへ向く。そんな算段をすればこそ、猛り狂うほどの闘争心を押さえて、ノウエル美髪王領の変をただじっと静観し得たのだ。
 ところがレミルは更なる力を付け、名実共に自らが偉大なる先帝の孫女であることを、帝国全土にアピールする結果となった。
 今やノウエル美髪王レミルの勢いたるや、帝国一の実力を持つレムローズ苛烈王に匹敵するほどである。
 これには、レムローズ苛烈王たらずとも、他選帝侯たちは内心穏やかでないに違いない。
 そして、穏健で知られる南東のフォリナー慈愛王(法王)が、水面下で動き始め、何やらきな臭いものを漂わせ始める。

 各国に異様な緊張が走る中、南方の雄、ウィルハルト聖剣王にもその報はもたらされ、レミルの活躍は剛毅な聖剣王の口元を、微かに弛ませた。
「フフフッ……やるではないか、さすがにオーユ殿、いや、偉大なる叡知王の血を継ぐものか」
 ウィルハルト聖剣王。
 四十半ばの彼は、鍛え上げられた肉体と褐色の肌を持ち、背は長身。肩まで届く銀色の髪に、その赤い眼光は鋭く、表情は厳しい。
 彼の『聖剣王』の名にはそれなりの曰くがあり、ウィルハルト聖剣王マクスミルザー家は代々、魔封じの剣とされる『聖剣』を守護し続けていることに由来する。
 もはやすでにその聖剣は、古くさい伝説上の存在と化してはいたが、魔王という存在が昨今まで西大陸に君臨していたこともあり、聖剣はある意味、人々の間で神格化していた。遥か千五百年前の古文書の記録によると、過去、聖剣は神と呼ばれた存在の一部であったという記述も残されており、それを守護するウィルハルト・マクスミルザー家の者たちには常に超人的な、ある種、神懸かり的力が受け継がれてきたのも事実である。それは、現聖剣王であるウィルハルト聖剣王マクスミルザーの勇名にも証明される。
 ある者は語る。
  ― 聖剣王家の一族は、神の血を継ぐものだと。 ―
 その言葉が意味するところは、ようするに、この地上に肉体というもろき鎧をまとい降臨した神々の、その子孫であるということではあるが、千五百年も前の黴びた文献など、所詮たいした証拠と呼べようもない。ただ、そんな意見が皆に受けが良いのは、どうせ仕えるなら、そんな神懸かりな聖人君子に仕えた方が家臣や領民としても、心地の良いものであるに違いないからであった。
 なんともいえない陶酔感を与えてくれる、そんなカリスマ性に聖剣王は溢れていた。
 そして、その第一の信奉者ともいえる襟元を正した美貌の女官が、耳元を隠すように長く伸ばした美しき緑髪を揺らしながら、聖剣王の御前で膝を折った。
「……ふっ、ライベルか」
 聖剣王の錆び声が、円卓の間に響く。荘厳で巨大な、ドーラベルンに似せて作られたこの聖剣王宮にあって、たいして広くもないその一室に今はこの二人以外の姿はない。
 ライベルと呼ばれた女性は、少し俯き加減でこう答えた。
「御前に醜態をさらしに参りました。ノウエル王家の名を語り、かのエル・ランゼを亡き者にしようなどと、所詮は浅知恵でございました。……御処分は覚悟しております」
「よい」
 聖剣王は短くそう答え、ライベルにこう問い返す。
「で、どのような男であった」
「…はっ、なんと申しましょうか、掴み所のない男でありました。半人半魔のせいか、魔族特有の残虐さというものはあまり感じられず、どちらかといえば野心と申しましょうか、本能に素直に生きているという感じでありまして」
「魔族イコール残虐などとは、偏見であるな。余は其方を残虐だなどとは思わぬ。フフッ、其方が余の白の騎士を持ち出し、僅か一人の丸腰の男相手に失敗るとはな」
「返す言葉もこざいません」
 聖剣王は円卓の前に跪くライベルを前に徐に立ち上がる。
「それは、それを察して止めることをしなかった余にも責任がある。余がノウエル王家と断絶している要因の一つがヤツであることは間違いないが、しかし余の後立てをあてにしていては所詮、若きノウエル王は余の代と共に終わる。若いということはそれだけで強い。それは夢魔伯にもレミル王にも、……北東の苛烈王にも言えることだ。それは若くもない他の選帝侯、北海王、鉄槌王、慈愛王、そしてこの余でさえも焦らせるパワーを秘めている。皆、己が治世の内に帝位を望む。……皇帝の椅子は世襲ではないのだから、な」
「ウィルハルト様……」
 凛とした表情で聖剣王を見上げるライベルであったが、その聖剣王の顔をとらえるライベルの瞳は、少女のそれに似た憧れに満ちた眼差しであった。
 一度、病で妻を失って以降、もう十数年と妻を娶ろうとはしなかった聖剣王。王家に世継ぎはなく、家臣のなかには新王妃を望む声も高いが、この城にあって、絶対の存在である聖剣王に対しそんな意見出来る者など、先の皇帝である叡知王ぐらいなものであった。
 そういう意味で、妾の一人としてでもいいと聖剣王に望まれることを期待するライベルに、魔族であるという血の宿命は、ある意味呪われているといえた。何故なら、ウィルハルト聖剣王の子はウィルハルトの名を継ぐ者であり、聖剣王なのである。
 その聖剣王家に魔族の女の血など、望まれようハズもないからであった。
 聖剣王が出生など気にしない優しき男であることは誰よりもライベルは良く知っていた。戦役で孤児となり、焼けた大地にほおりだされ、餓死を待つだけの自分をその胸に抱いてくれたのもこのウィルハルト聖剣王である。ただ、多くの人々は聖剣王のように自分を許容してはくれないだろう。そんな、他人の目がライベルには恐ろしかった。
 それが、ライベルに聖剣王との一線を越えることを躊躇わせる最大の要因であった。
 できれば人として、この人と出会いたかった。そう思うとエル・ランゼの事を気にせずにはいられなかった。何故、先の夢魔伯爵は得体も知れない人間の女と結ばれたのか? 何より、彼らは愛し合っていたのだろか、また行けたのだろうかと……。
「気分がすぐれぬのか?」
 聖剣王がライベルにそっと手を差し伸べる。そんな優しさが今のライベルには痛かった。
「いえ、ただ我が身の腑甲斐なさに……」
 ライベルは短くそう答えると、微笑みを残してこの部屋を後にした。