第三章
      

  - 渦中へ -

  By.Hikaru Inoue 


IV






 ノウエル美髪王領の反乱勢力は、西側周辺一帯を拠点とする七千のゲイラード侯爵軍と、大河チークゴを挟んでその対岸に勢力を持つ、マンセル伯爵軍五千の二つであった。
 彼ら両名の諸侯は、レミルの粛正の三ヵ月によって、共に都落ちした者たちである。故に、若きノウエルの王レミルに対し、深い恨みを抱いていた。
 彼ら両名こそがノウエル美髪王家の次期宰相の第一候補であったオルスリー卿を失脚させるに至らしめた直接の人物である。
 そして、レミルを傀儡(操り人形)とした政権を打ち建て、己れが宰相となって帝国を我が物にしようとする計画も、互いが互いを譲らずに、まんまとレミルの術中に落ちた。 それでも、彼らは帝国の覇権という甘い果実の誘惑を捨て切れようはずもなく、レミルという人物を軽視し、皇城ドーラベルンの玉座に座る未来の己れの姿に酔い痴れ、反乱という暴挙に討って出た。
 元々、レミルという大器を見抜けない愚か者どもに、ノウエル王家の覇権を、ましてや帝国の覇権などと語る資格はなく、レオクス鉄槌王の挙の時点で、すでにこう気付くべきだったのだ。
 ――我らは共に、袋のなかへまんまと追い込まれた、馬鹿な二匹のネズミなのだと。
 そう考えさえ出来れば、二つの反乱勢力が共に手を結び、まだ少数のレミルらノウエル美髪王軍を簡単に駆逐することが出来たかも知れない。
 しかし、マンセル伯の浅知恵はこんな結論を出すに至った。
 レオクス鉄槌王がゲイラード侯を足止めしている間に、数で勝るレミルらノウエル美髪王軍を急襲し、そのまま一気に皇城ドーラベルンを目指すと。
 こうしてマンセル伯爵軍五千は、ノウエル美髪王軍三千の布陣するトゥイン平原へと全軍を挙げて南下を開始した。

 マンセル伯爵領は、周囲を険しい山々で囲まれた盆地に開けた平原で、三万都市ディサに居城マンセルを構える、天然の要害である。攻めるに難く守るに易い。
 レミルが最も恐れたことは、このマンセル伯に篭城などを決め込まれるということである。
 マンセル伯が自領の殻に閉じこもり、ノウエル王家に対する徹底抗戦を叫んだのだとしたら、レミルはおそらく長期に渡る攻略戦を強いられることになる。マンセル伯爵領は以前から閉鎖的な環境にあり、自給力もある。
 そのマンセル伯爵領攻略ともなれば、指導者の能力は乏しくとも、土地が彼に味方をし、レミルは補給線を長く延ばすという不利を背負って戦うことになり、攻略には少なくとも伯の三倍、一万五千の兵員を必要とするだろう。
 現時点でその兵力を調達することは、レオクス鉄槌王を味方に取り込んだレミルであれば、実現可能な数字ではあった。だが、長引く内戦は単純に国力を低下させるだけでなく、他の選帝侯に付け入るだけの準備と隙を与えることになる。
 故にレミルは短期決戦を望み、自ら三千という少数の兵を率い、トゥイン平原という布陣には不利な場所にあえて陣を築くことにより、己れを餌としてマンセル伯を誘き出すこととした。
 広大な平原での正面決戦ともなれば、その数が歴然とした差として出るのはもはや自明の理といえた。
 三千対五千で、その差は倍。
 まして、その総大将であるレミルが実戦経験がないただの小娘だとしたら、これはいかに無能で小心なマンセル伯でなくとも野心を擽られるというもの。
 レミルが僅か三千の手勢で、急きょ、皇都レトレアを離れたのは、そんな伯の行動を見越してのことだった。
 レミルとて、剣を武器に人と人とが戦う戦争が、その兵力差で決せられることなど重々承知していた。どんな英雄、豪傑がいようとも、倍の兵力差を覆せようハズもないということを。

 そして、レミルが皇都レトレアを離れて半月。北の遅い春を待ち、青く芽吹き始めた大地が、ライトグリーンに萌える時を迎えようとするその間近、トゥインの平原の彼方に、マンセル伯率いる五千の軍がその姿を現わし、平原の静寂に終わりを告げた。
 その報を受けたレミルは、帷幕で蒼の兜をその手に、家臣団に向けてこう言い放つ。
「いよいよ、ノウエルの大地に巣食う賊徒どもが、神聖なるレトレア帝国の御旗に向かいて、その牙をむいた。今、この帝国に主人定まらずとも、ノウエル美髪王レミルは、偉大なる帝国の栄光を守護し奉る、皇都レトレアを預かりしノウエル選帝侯である! 各々、各陣営に戻りて、ただちに出陣に備えよ。今度、貴殿ら各人の働きに、余、ノウエル美髪王は期待するに大である。そのこと、肝に銘じよ」
「ハハッーーーーーーッ!!!」
 こうしてレミルの号令が帷幕に轟き、その面影に少女の姿は消えた。
 遂にこの日、両軍がその矛先を交える時が訪れたのである。
 それは、レミルにとって全ての戦いに於いての『初陣』と呼べた。
 負けることの許されぬ、『勝利』という血文字によって彩られるべき道。
 その初めての勝利を飾るべく、レミルはこのトゥインの平原を、赤く染めようとしていた……。