第三章- 渦中へ -
By.Hikaru Inoue
III
レミルの思惑どおり、二つの反乱勢力は、劣勢の小娘率いるノウエル美髪王軍など端から眼中にはなく、互いのどちらかが皇都レトレアに上り、新ノウエル王を宣言するのかという、ただその事のみに鎬を削りあっていた。
そして、その二つの反乱勢力の動きをじっと見守るように、レオクス鉄槌王率いる八千の鉄槌王軍は、ノウエル美髪王領の国境付近に布陣していた。
反乱軍はおろか、他の選帝侯諸侯の動きさえ牽制することになったこのレオクス鉄槌王の挙は、実はレミルによって半年も前に仕組まれた周到な策謀であった。
――ここで話は、今よりおよそ半年ほど前の、レミル、ノウエル選帝侯就任の際の選帝侯会議まで遡る。
当時、エル・ランゼの助力もあって皇都レトレアを暫定的ではあるが、その傘下に収めることに成功したレミル。
レミルはこの選帝侯会議の後、即座にレオクス鉄槌王との非公式な会見の席を設ける。 帰途につくその寸での所で呼び戻されたレオクス鉄槌王は、使者のその様子にいいさかの不可解さを憶えながらも、レミルの求めに応じることにした。
レオクス鉄槌王は、供の側近を皇城ドーラベルンの入り口付近で待たせると、単身、その会見の席へと臨むこととした。 レオクス鉄槌王は、頑健にして聡明な文武両道に秀でた初老の男で、静は静寂、動は一撃にして岩山をも砕くと、若き日の前皇帝・叡知王にそう言わしめ、その名『鉄槌王』の名を直々に賜わったほどの男である。
そうして、使者によってレオクスが通された部屋は、皇城ドーラベルンの奥にある、厚い石壁に覆われた小さな一室であった。華やかな皇城にあって、ある種、牢獄のような異様な雰囲気で満たされた部屋に、歴戦の勇者の鼻は、何か血なまぐささのようなものを嗅ぎ付けた。
その小さな部屋の中央のテーブルには、一人、その男の到着の待つ金髪の少女があった。
「お待ちしておりました、レオクス鉄槌王陛下。このような不粋な所に突然呼び付けた非礼、どうかお許しください」
「陛下などと呼ばれれば、こちらもそなたを陛下付けで呼ばねばならぬ。鉄槌王でよい、若きノウエル王よ。それより、何故あって余をこのような場所に呼び付けたか、その訳、聞かせてもらうとしよう」
レオクス鉄槌王は、落ち着いた様子でレミルにそう答えると、徐に会見の席に着いた。
実の所、レオクス鉄槌王は、尊敬の念に値する人物の血を受け継ぐ、この美しき金髪の孫娘に、少なからずの興味があった。
偉大なる皇帝・叡知王。ノウエル家の期待を一身に背負い、次期皇帝の座を目されていながら病死を遂げる、天才と呼ばれた王太子ライエン。そして、ドーラベルンの白きバラと呼ばれ、白銀の髪をもち、その絶世の美貌で三人の王者から愛されたオーユ王太子妃。
この三名の血統を以て、受け継いだものがオーユ王太子妃の美しさのみか。
レオクス鉄槌王の関心は、まずそれにあった。
「このような部屋で申し訳ありませぬ、ですがこの部屋での話は、決して外に漏れませぬ故。我が決意を、鉄槌王殿にも御理解いただきたいのです」
「ほほう、怪しきものよのう。外に、漏れぬ……か」
レミルのその言葉に、レオクス鉄槌王は、顎髭に手を当てながら短くそう答える。
「かつてここは、我が祖父・叡知王とウィルハルト聖剣王が、共に軍議や政策を語らい、帝国の行く道を定め合った場所と聞き及んでおります」
「なるほどな、……それではこの場所こそが、このドーラベルンの実質的中枢と呼べる場所であるな。ならば、このような場所などと畏まる必要などない、この場所は帝国の武人として、最も神聖にして不可侵たる聖域ではないか。余は今、偉大なる先の皇帝や、かの聖剣王と同じ席にあることを、末代までの誇りに思うぞ」
レオクス鉄槌王がこの部屋で直感的に感じたものは、武人の誇りや魂といったものに違いなかった。その、感慨のようなものにふけるレオクス鉄槌王に、レミルは大胆にもこう発言した。
「祖父と聖剣王が語り合ったこの部屋を、次はこの私と貴方様の二人で、共に語らいたいものです」
「なッ!?」
レオクス鉄槌王にとって、その誘惑は強烈だった。
その言葉の示唆するところに、『皇帝』の二文字がレオクス鉄槌王の脳裏を過る。
レミルは、祖父がウィルハルト聖剣王にだけ限定して与えた至上の栄誉を、今度は自らが皇帝となってレオクス鉄槌王に与えると発言したのだ。
代々、地理的立場上、絶対中立を保ってきたレオクス王家の、その固き鋼の鎖の連鎖を焼き切るほどの熱い思いが今、レオクス鉄槌王の中を駆け巡っていた。その吹き出るマグマのような熱き思いを押さえるのに、レオクス鉄槌王は必死だった。
密かに望んでいた、眠り続けていた二つの野心。ウィルハルト聖剣王が武人として極めた、皇帝守護国(ナンバー2)としての威信と権威。そして、何よりも望んで叶わなかった、才人にして美貌の人、オーユへの愛。今は亡き、その想い人に生き写しのレミルによって語られた言葉は、美しい思い出に重なり幾倍にも増幅された。
そう、レオクス鉄槌王にとって、レミルの言葉は、オーユの言葉そのものに聞こえたのだ。
純白の絹地のドレスに身を包んだレミルのその姿は、天使のような純潔さを保ちながら、オーユに増して、美しい存在に思えた。
かつて、ライエン王太子、レオクス鉄槌王、そしてウィルハルト聖剣王の三者で巡った三つ巴の恋。結局、ナイトに成り損なったレオクス鉄槌王であったが、そのチャンスがかのウィルハルト聖剣王を差し置いて、己れの元へと舞い込んできたのだ。
もはや、レオクス鉄槌王を説得するのに多くの言葉は必要なかった。
レミルはそのエピソードを、亡き母の克明なる手記によって、事前に知り得ていた。そして、レオクス鉄槌王なる人物に、賭けてみる気になったのだ。それは、母の残した、レミルにとって貴重な財産となった。
レミルは、レオクス鉄槌王に言う。
「私の『騎士(ナイト)』に御成り下さい」
その言葉がレオクス王家の、古く固き鎖を断ち切るかのように、レオクス鉄槌王の錆びた両眼を大きく見開かせた。
レオクス鉄槌王は、震える我が身に高潔な心地よさを感じながら、レミルに一言、こう問い返した。
「して、その対価は」
「この、我が身」
レミルの短くも、堂々としたその返事に、この時、レオクス鉄槌王は有るべき王者の姿を感じ取ったという。
同時に、レオクス鉄槌王はこう決意した。
オーユへの強き想いを忠誠という想いに変えて。
こうして、レミルはレオクス鉄槌王という帝国のルークを、強力なナイトに変えて、その手中におさめたのだった。