第三章
      

  - 渦中へ -

  By.Hikaru Inoue 


II






「では、そのように取り計らって下さい」
 ノウエル美髪王領の南に広がるトゥイン平原に陣を張ったレミルは、その帷幕で数名の家臣たちにそう伝えると、皇城での執務室をそのままここに持ってきたような感覚で、淡々を執務をこなし始めた。
 彼女のその姿は、家臣たちの目に一種、異様に映った。その姿には、遠征中の総大将たる気迫も覇気もない。ただ清水のように落ち着いた十六才の少女の前を、軍務、政務といった膨大な情報の河が、氾濫することもなく、ただ一筋の流れとなって過ぎ去っていく。
 レミルは遠征中にありながら、皇都レトレアを常にその管理下に置き、同時に反乱の鎮圧作戦をも推し進めていった。
 ノウエル美髪王家の一切の事柄は全て、この少女一人によって決定され、家臣たちはそれに手足となって従う、まさに『駒』でしかない。
 若く美しくか弱き女王を力強く支えるというロマンに陶酔する家臣たちは、何とも言えない立場にあるといえた。
 そういう意味で、レミルと家臣団の関係は、まさに『働き蜂と女王』と呼ぶに相応しかった。 レミルと家臣たちとの間に築かれた垣根を、同志という言葉が越えることはなく、常にその関係には主従という絶対の言葉が維持された。
 そうして陽が落ち、この帷幕にも月明かりの柔らかな灯りが満たされるようになる頃、レミルは、家臣たちの退いたこの四角く区切られた砂色の幕の中で一人、舞台を降りた女優のように、ホッと息を洩らして、肌身離さず持ち続けている金のロケットを徐に開き、それを目の前の木のテーブルの上に置いた。
「……おじいちゃまの、いえ、叡知王の背中を見て、私はここまでやって来ました。……貴方はきっと望んではいなかったでしょうね。汚れていく私を、望んでこの手を赤く染めようとする、こんな私を」
 レミルはそうポツリと呟くと、銀色に輝く宝石を鏤めた藍色の空の上を見上げ、そのアイスブルーの瞳を、白く輝く満月の光で満たす。
「私が見た叡知王の背中を、今度は私の背中に……皆に見せなければなりません。貴方は最後に、私一人の小さな幸せを望んでくれた。でも、私は貴方のようになりたい。――そして、不幸でもいい、もっと多くの、価値ある幸福を、秩序という一つのカタチにして、もっと多くの人々に分け与えたい」
 そう語るレミルの瞳には、まるで杯をいっぱいに満たしたような白い光が溢れていた。そして、レミルは光がその杯から溢れ出す前に、アイスブルーの瞳に瞼のカーテンを下ろした。
「私の蒔いた反乱という種は、このノウエルの大地に欲望の花を咲かせ、人の心に巣食う愚かさを浮き彫りにしました。ごく一握りの限定された愚か者たちの欲望の為に、大多数の罪もない人々がそれに荷担させられる形で巻き込まれる、……それが戦争です。――綺麗事の言える立場でないことは、十分承知しています。だからこそ彼らに、いいえ、このレトレアという帝国に根を下ろす同様の悪に、それ相応の対価を支払わせなければならない」
 レミルはそう言って一呼吸おくと、さらにこう続ける。机上に置かれたレミルの両手の拳が固く握られた。
「悪に相対する者は、また悪でなければなりません。でなければ正義という実体のない狂気が、この世の中に氾濫してしまう。だから私は、その為の戦いに打ち勝つ為に、この身を悪に染めるつもりです。――決意が固く、ガンコなところは、貴方譲りですね。でも、決意した以上は必ず勝利します。悪という悪をこの帝国から消し去り、最後に私という一つの絶対悪をその頂点に据える為に」
 テーブルの上に開かれた物言わぬ祖父の肖像がレミルの瞳に飛び込んできた時、そのレミルの頬を伝って、一筋の銀光が流れ落ちた。
「それが、貴方が私に見せ続けてくれた、『皇帝』という名の背中ですもの……ね」