第三章
      

  - 渦中へ -

  By.Hikaru Inoue 


I






 二月の終わり、北上するレミルらノウエル美髪王軍と時を同じくして、西の雄が兵を挙げた。
 彼の名は、レオクス鉄槌王。
 先の皇帝・ノウエル叡知王の時代から、常に帝国内での中立的立場を保ち、魔王領と接する帝国の要衝を守り続けることに全精力を傾けてきた、まさに帝国の堅城(ルーク)と呼ぶべき男だった。
 ノウエル美髪王領の不祥事に付け入り、前叡知王時代から反皇帝派の急先鋒で知られる北東大陸の覇者レムローズ苛烈王や、北海を支配する海賊選帝侯ハイランド北海王らの軍事的介入が予想されたが、誰もの裏をかいたこのレオクス鉄槌王の突然の挙に、その両雄は出鼻を挫かれる形となり、領土拡大の絶好の機を逃すこととなる。
 レムローズ苛烈王も、ハイランド北海王も、武勇を以てなる好戦的な人物であったが、ノウエル美髪王領内で、実力未知数のレオクス鉄槌王相手に選帝侯同士での内戦を起こす気にもなれなかったし、何よりそれは彼らにとってリスクの大きい賭けとなる。
 というのも、仮にレオクス鉄槌王に対して勝利を収め、レミル共々、ノウエル王家の亡霊どもを排斥せしめたとしても、今度は彼ら自身が最強の獅子相手にその脇腹をさらすこととなる。
 彼らがそれほどに恐れる存在。
 その帝国最強の獅子こそが、南方の覇者、ウィルハルト聖剣王である。
 通称、『白き死神』。
 全身を純白の甲冑で身に包んだ、最強の白の騎士団を率いる聖剣王軍相手に、軍列の延びきったところを一撃されれば、それこそ帝国の命運など一日にして決する。
 レムローズ苛烈王も、ハイランド北海王も、進んでその白き死神に次の帝位を禅譲する気などさらさらなかったし、そういう諸々の事情もあって、この好機を指をくわえて見物するしかなかった。
 今は亡き魔王ディナスが、最も恐れた人間。そして、三十年にも及ぶ叡知王の永き栄光を影で支え続けた男。それが彼、ウィルハルト聖剣王である。
 幸い、レミルはレオクス鉄槌王、そしてこのウィルハルト聖剣王という巨大な二枚岩によって野心剥き出しの二つの選帝侯家の介入を免れることとなったが、それでも北に一万二千の反乱軍、西に不気味なレオクス鉄槌王軍八千を抱えたまま、僅か三千の手勢を率いてその渦中へと飛び込むこととなる。
 もちろん、この北方の変は、戦場を遠く隔てた南西辺境区の黒マントの男の元にも届けられ、普段から落ち着きの無いその男を、さらに慌てさせる事態となった。
「な、なんですとぉーーーーーおおおっ!!! あの可憐でうら若き乙女のレミルちゃんが、暗黒腹黒な奸臣どもの裏切りにあい、あーんなことや、そぉーんなことや、ましてや、こぉーーんなことをッ! 強要されるハメになっておるとなッ!! うらやま…いや、絶対、許せんッ!!!」
 陽当たりの良いこじんまりとした一室で、ふかふかのソファーに埋もれるエル・ランゼを、リリスのその一報は飛び上がらせるに十分だった。
「……やや、誤解もあるようですが、一言で申し上げまして、絶体絶命のようですね」
「いかぁーーーーーーんッ! そんなことはぁ、断じていかぁーーーーーーーんッ!! レミルちゃんに、あんなことや、そんなことや、こんなことをしていいのは、次期世界帝国の覇者である(予定)、このオレ様だけと決まっておるのだッ!!! リリス、今すぐ暗黒騎士団の連中に集合をかけろ! この黒きマントの白馬の王子が、一万五千の大軍率いて、姫君のピンチをお救いしましょーぞッ!!!(下心あり)」
「……私用で軍をオモチャみたいに扱わんといて下さい。それに、ここからノウエル美髪王領までそんな大軍を派遣するのに、いったい、いくらかかると御思いです」
「……そこは、それ、リリス君の退職金とかで、なんとか」
「物理的に不可能です」
「りりすぅ〜〜〜〜ッ!!」
 泣き縋るエル・ランゼをリリスは軽くあしらうと、それでも食い下がって離れないエル・ランゼを半ば引き摺るように、リリスはこの部屋を後にした。
「……重いんですけど」