第二章
      

  - 争いは飽くこと無く -

  By.Hikaru Inoue 


VIII






 中央に皇都レトレアを配する『人間たち』の広大な帝国、神聖レトレア帝国。
 これは西の脅威とされた『魔王』に対抗する為に自然発生的に生まれた、外敵に対する巨大な数の集合体、いわゆる『群れ』である。
 この集団が形成されるその前提には、人類共通にして最大の敵の存在があった。それが皮肉にも現帝国に今の繁栄をもたらすに至った最大の要因である。
 帝国建国以来、約千五百年に渡る永きその秩序は、人々が望んだ形、人類の魔王への勝利という結果で、時代の転換点を迎える。
 今までその帝国を永年支え続けた単純な数の方程式の一方が崩壊したことに人々が気付いた時、人は初めてその存在の重さを思い知らされることになる。
 遂に千五百年の沈黙を破り、人を一つに束ねていた魔王という名の鎖は断ち切られたのだ。
 人は魔王に対して勝ち過ぎた。
 せめて魔王ディナス存命ならば、立前だけの絆を語り続けられたのかもしれない。
 現在、西大陸に魔王は不在。四天王筆頭の次期魔王候補、夢魔伯爵エル・ランゼは西大陸の一部を切り取って、東大陸の人間たちの帝国についた。
 もし、叡知王が同じく存命ならば、今度は同盟諸侯の中から西大陸侵攻の大同盟さえ提案されかねない状況にあるといえた。
 主人を失ったという一点のみにおいては魔族も人類も大差ないようにも思えるが、人類の皇帝陛下は西大陸の魔王ほど絶対の存在ではないのだ。つまりは、誰でも良い。皇帝の代わりなど、とりあえずは選帝侯が七人もいるのだから。
 そして、その勝利に対する対価は今、一人の金髪の少女の小さな両肩に、重くのしかかろうとしていた。
 『内戦』という形となって……。

 皇城ドーラベルンの執務室の巨大なテーブルの前に、頼りなげな少女の姿はあった。
 季節は巡り、祖父を失ったあの日からおよそ半年。時は、その少女の回りを、慌ただしく駆け抜けてゆく。
 城内では冬支度に忙しいメイドたちの姿が目に付くようになり、回廊の窓から見える秋色の山々も、次第にその色を色褪せさせた。
 景色さえが、少女を孤独へと追いやろうとするその中、少女は机上でその白くか細い手をぎゅっと握って額にあてると、小さな声でこう呟いた。
「おじいちゃま、……もうすぐ冬が始まります。でも、春は遠く、遠く私から離れて行きます」
 固く握られたレミルのその手の中には、祖父の肖像の描かれたあの金のロケットがあった。
 レミルは言う。……そう、春は遠いのだと。
 永年に渡り、皇都レトレアを占拠し続けてきたノウエル王家。それは、他選帝侯家に比べても、結束力という意味であきらかにそれを低下させた。
 ノウエル美髪王領に、皇帝直轄領という二つの領土。永く延びるその二つの土地が、王家の分家を加速させ、今ではノウエル美髪王領の至る所に、王家の者を名乗る、血統すら定かではない者たちの根城が無数に築かれていた。
 勿論、王家の直系はこの金髪の少女・レミルただ一人である。
 だが、王が土地を離れて久しいその地には、皇帝という椅子に対する信仰はあっても、その距離の隔たりと同じく、王への忠誠というものを薄く冷めさせていた。
 レミルがその想いを語るにたる人物を得ることが出来ていたのだとしたら、彼女はこう洩らしたことだろう。「私は大きな戦いの前に、まず小さな戦いを手に収めなければならない」と。
 玉座を譲られただけの無能な少女を演じ続けるレミルにとって、他者に油断を誘うそれは、これからの歩むべき道を進むための重要なカードの一枚であった。
 レミルはノウエル王家の完全なる掌握を目指す為、あえて力を持つ危険分子たちを地方へと流出させる。
 欲望は、より多くの欲望を掻き集めながら、やがて腫瘍のような塊となって姿を現わす。
 それこそが、今のノウエル王家に巣食うガン細胞であり、レミルが王者としての覇道を行くために、避けては通れぬ道であった。
 そしてレミルの思惑通り、欲望はその巨大な花を開花させ、ノウエル王家創始以来の大規模な内戦に発展するのである。

  ノウエル美髪王レミル、十六才の冬。

 ノウエル美髪王領内において、二つの反乱勢力が示し合わせたように反旗を翻す。 その数、一万二千。
 対するノウエル美髪王、レミルは、皇城守備隊の勢力をあわせたドーラベルン守備軍、僅か三千余。
 四倍の反乱軍を前に、誰もがノウエル王家の王権交代を予期したその中、執務室のレミルは冷静だった。
 レミルは、机上に広げられた神聖レトレア帝国の地図を、まるでチェス盤でも見下ろすような眼差しで、頬杖をついて眺めていた。
 ――そして、その指先に『ナイト』は握られる。

 年が明けた、エグラート大陸歴・三千十三年の早春。
 まだ冬の厳しさの残る北西の大地に向け、ノウエル美髪王レミル率いる三千の兵が、皇都ドーラベルンを離れ北上を開始した。
 この時、レミルに寄り従う重臣たちには、馬上の彼女の蒼き甲冑の武者姿が、かつての叡知王のその姿に、重なって見えたという……。

 この時、すでに十六才の少女の叡知は、眼下に見える烏合の衆ではなく、もっと大きな『敵』と呼べる存在を、そのアイスブルーの瞳の奥に捉えていた。