第二章
      

  - 争いは飽くこと無く -

  By.Hikaru Inoue 


III






 皇都レトレアの中心に聳える皇城・ドーラベルン。
 その巨城は大きく二つの区画に分けられ、主に行政や軍事を司り、選帝侯会議室や、謁見の間など、実務的機能を備えた前衛部分とその後ろにある王宮部分とに分けられる。
 城の外見として見える巨城はこの前衛部分にあたり、その背後に隠れるようにして、皇居となる王宮が広がっていた。
 新ノウエル王となったレミルは、その日々を多忙な執務に忙殺され、王宮のあの薔薇園にすら顔を出すことがなかった。
 レミルはノウエル美髪王として、様々な問題を、その長くもない腕に余るほど抱えていた。
 まとまりを見せず、レミルを次の皇位へと画策する家臣団。
 ドーラベルンに留まり、皇帝直轄領である帝国のサイフ、皇都レトレアの支配を続けるレミルを快く思わない、レムローズ苛烈王やハイランド北海王ら他の選帝侯たち。
 セバリオス教の布教の為には手段を選ばず、他教の弾圧、改宗を推し進める法王、フォリナー慈愛王。
 若きノウエル美髪王に、不安を抱くレオクス鉄槌王。
 そして何より、かつての親皇帝派の急先鋒だったウィルハルト聖剣王との断絶。
 レミルを支えるものは、この城の内にも外にも存在しなかった。見渡す限りが、敵か、己れを利用して自己の利益のみを追求しようとする者ばかりだった。
「大臣、この件は以下のように取り計らうようになさい」
「はっ、かしこまりました美髪王陛下」
 髭の大臣はレミルに軽く一礼して、この執務室を出た。
 レミルは今日も一日、机上の書類の山を片付け、フッとため息を漏らす。大臣が退室し、レミル一人となった執務室は、シンと静まり返り、広い室内はそれに比例して淋しく感じられた。
 レミルは首に下げられた金のロケットを開くと、その中に描かれた祖父の肖像相手にこう呟く。
「……おじいちゃま、レミルは一人でも頑張り抜くつもりです。私に何が出来るか、それはわかりません。でも、おじいちゃまはきっと、こんな私を誉めて下さいますよ、ね」
 そう言うとレミルは、アイスブルーの瞳を閉じ、大事そうにその金のロケットを胸の奥に仕舞った。
 この時はまだほとんどの人々が気付いていなかったことだが、レミルというこの金髪巻き毛の少女は、祖父である老賢人ゆずりの知性をその内に秘める、いわゆる『天才』であった。
 誰もがこのレミルを世襲で選帝侯位を継いだだけの無能な小娘だと嘲笑う中で、レミルはその侮蔑さえも利用し、あえて内外に小娘なりの無能さを示し、その裏でかつての叡知王ばりの知性を働かせていたのだ。
 先日も、レミルは割れる家臣団の第一勢力であるオルスリー卿に近付き、唯々諾々と従うフリを装いながら、内情を探り、その情報を第二勢力と第三勢力のその両方にそれとなく流した。
 ここでオルスリー卿を良く思わない二つの勢力は後に団結し、オルスリー卿の不正をでっちあげ、まんまと卿を失脚させるに至る。
 レミルは同様の策を繰り返し、こうして労せずして腐敗した家臣団を淘汰し、また誠実さを残す家臣だけを積極的に側近に迎え、王家にすがる寄生虫のような者どもを徹底的に地方へと左遷した。
 このような大事業をレミルは九月末までの短期間に計画的に行い、家臣団の派閥構成を再編し、自分に反抗的な勢力を一掃した。
 後にこれは『粛正の三ヵ月』と人々に呼ばれ、レミルの知性の高さを象徴する事例となる。
 レミルは公私混同は一切行なわず、政務に対しては冷静沈着で、そして冷徹だった。
 老賢人の英才教育は天才を開花させ、自然と家臣団はその才能に惹かれ、当初とは全く異なる視点でレミルを皇位へと望むようになる。
 ただ、孤高であることがそうさせるのか、レミルは天才であるが故に、その才能を発揮する度に孤独へと追いやられた。
 レミルにとって家臣団はチェスの駒に過ぎず、決してそれ以上の存在とは成り得なかったのだ。
 残暑も去り、風もやや涼しさを増した夕暮れの薔薇園。
 レミルは夕焼け色に染まるベンチの上に腰を下ろし、淋しくなった薔薇園を一人眺めてこう呟いた。
「この薔薇園が光溢れていたのは、もう、ずいぶん前のような気がする。……でも、どうしてかしら。あの方の記憶だけはつい昨日のように鮮明なの。――あの方といた時間、私は紛れもなく一人の少女だった」
 レミルが俯き加減でそう漏らすと、美しい金糸の髪を、黄金の河のような夕陽が流れる。
「……もう一度、会いたい。あの方に会えば、きっとこの薔薇園にも光が戻って見えてくる。この嫌な自分が、少しでも好きになれるような気がする」
 エル・ランゼの印象は、この金髪の少女にとって強烈なものだった。
 ……閉ざされた少女の心の中に初めて踏み込んだ者として。
 両手で顔を覆うレミルのその指の隙間から、あの日のように銀光が流れ落ち、褐色の大地へと吸い込まれていった。
 ただ、あの日と違うことは、この少女の深い悲しみを分かつ相手は、夕陽に焼けたその白いベンチの上には、もういないことであった。

 ……少女の長く孤独な戦いの日々は、こうして幕を開ける。