第一章- 絆の花園 -
By.Hikaru Inoue
IX
「ケダモノ」
エル・ランゼを迎えるリリスの第一声は、まずそれだった。
「ケ、ケダモノって、おいっ!?」
部屋に戻るなり、強烈なボディブロウを受けたエル・ランゼ。リリスの冷めた目線に怯みながら、慌ててエル・ランゼは言い返す。
「おいおい、オレ様がそんな悪代官に見えるかッ!!」
「……見えますね、かなり」
リリスの冷めた瞳が、さらに細みを増した。
「なんか言ってくれよ、ルフィアちゃん。オレ様が何かやったってのか?」
エル・ランゼはその長身の後にちょこんと影になった赤毛の少女に、すがるような瞳で同意を求める。
「伯爵様は、私にやさしくしてくれました。こんなにやさしくされたのは、生まれて初めてです」
ルフィアはエル・ランゼの影から姿を現わすと、ニコリと微笑んでリリスにそう言った。
ルフィアとしてはエル・ランゼを言葉を肯定したつもりだったのだが、言い方がマズかった。しかも、そのルフィアの白い頬が、桜色に紅をさす。
「や、やさしくですってぇーーーッ!! キーーーーーーーッ!!!」
やさしいの一言に取り乱すリリス。大いなる誤解だったが、三十路前の独身女にその言葉は禁句だった。
「お、落ち着け、リリス。何も、嫁の貰い手がないのはお前の責任じゃない!! いや、もとい、やさしくって別に変なことをしたわけじゃないぞ、」
火に油を注ぐエル・ランゼと、嫉みの炎を紅蓮に燃え上がらせるリリス。
まさに浮気がバレた夫の夫婦喧嘩のような様相を呈した二人の間に、割って入るだけの勇気は、ルフィアにはなかった。
ルフィアは板張りの床に膝を折ると、その勇気与えてくれと神に祈る。
「こ、この子、懺悔してる!! あんたっ、何やったのよッ!!!」
「ご、誤解だッ!! こっ、こらっ、誤解されるような真似をするんじゃない」
裏目、裏目のルフィアの行動に、エル・ランゼは泣きたくなるような気分だった。思い込みの勘違いほど質の悪いものはない。いくらエル・ランゼが弁解しようとも、リリスに聞く耳はないのだから。
……こうしてエル・ランゼは、いわれ無き誤解を解くのに一昼夜を費やし、ようやくリリスを納得させた頃には、東の窓から鮮やかに輝く朝日が、金の槍となって眩しく室内を射してきていた。
「ふあぁぁぁ……。――リリス、お前のおかげで昨日は徹夜だ。今日ぐらい、会見は休ませろよな。延期、延期、延期ッ」
エル・ランゼは眠た目を擦りながら、恨めしそうにリリスにそう言った。
「……本日は、八時の朝食会の後、ヤスタ領のパムエル卿との会見。以後、諸侯との会見が滝のように連なっております、ふあぁぁぁっ……」
「貴様が一人で行って来いッ!!」
大声で怒鳴り付けるエル・ランゼに、リリスは長い耳を押さえながらこう呟いた。
「ツツッ……朝から叫ぶのはやめといて下さい、耳が長い分、頭に響きますから」
「誰のせいじゃいッ!! それに、サラッと耳の自慢をすんじゃねぇーーーーッ!!!」
……こうして、会見四日目の朝は、幕を開けたのだった。