第一章
      

  - 絆の花園 -

  By.Hikaru Inoue 


VIII






 赤毛の少女にとって、エル・ランゼの存在は会戦の英雄などではなく、恐怖の悪魔、夢魔伯爵であった。人々は集団心理でエル・ランゼを英雄と祭り上げるが、いざその漆黒の魔人に己れ一人が対峙することになった時、彼に抱く敬意や尊敬の念が、何処までその恐怖に打ち勝つことが出来るだろうか?
 そして、少女の立場は生け贄だった。
「フフフッ、どうした? このオレ様がそんなに恐ろしいか」
 エル・ランゼの質問に赤毛の少女は、ビクッとその身を震わせた。小刻みに震える唇は、その問いの答えさえ紡ぎだすことは出来ない。
「まあいい、立ち話もなんだ。ほら、そこの金ぴかの法王の椅子にでも座れ」
 エル・ランゼのその言葉に、少女は慌てた様子でバタバタと席についた。少女はそのまま椅子の上で身を小さくして、エル・ランゼの次の言葉を待った。
「お前も災難だったな、……今時生け贄なんてな」
「……」
 エル・ランゼは頬杖を付いたまま、さらに少女にこう続ける。
「覚悟は……出来てるだろうな?」
 その言葉は少女の顔を青ざめさせる。
 そして、暫しの沈黙。
「んぁーーーっ? 返事はどうしたよぉ!?」
 赤毛の少女は息を飲んでコクリと頷く。生け贄の自分がこの後どうなるか、その想像で少女の頭の中はいっぱいだった。
「よし、これからお前はオレ様のメイド2号だッ! 風呂の掃除に洗濯、お茶くみから肩揉みまで、さんざんコキ使ってやるから覚悟せいッ!! ガハハハハハハハハッ!!!」
 そう言って、エル・ランゼは赤毛の少女の肩を勢い良くパン、パンッと叩いた。
 ……その瞬間、少女の頭の中は空っぽになった。
 掃除に洗濯……それは、少女の予想だにしない答えだった。
 純潔を奪われ、生き血を吸われ、想像出来る限りの最悪が、お茶くみのメイド2号だったのだ。……緊張の糸が切れるどころか、切れすぎてプッツンである。
「鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になってるな。おい、大丈夫か? 週に一度ぐらいは休ませてやってもいいぞ」
 エル・ランゼが茫然自失の少女の目の前で軽く手を振って見せると、ふと我に返った少女は、エル・ランゼにこう問い返した。
「本当に、それだけなんですか?」
「うーーーんっ、それだけって、もっと休みくれってことか?」
 質問の主旨を取り違えたエル・ランゼがボケた答えを少女に返すと、少女のライトグリーンの瞳は大きく見開かれ、そこから大粒の涙がポロポロと頬を伝って零れ落ちた。
「おいおい、泣くほどイヤなのか!? ウチのリリスだって愚痴は多いがそんくらいは働くぜッ。わかった、わかった、お前の好きなようにさせてやる。だから、泣くな。……勘違いされたら困るだろうが、こんな陰湿な地下室で、可憐な美少女泣かせるなんて」
「いえ……違うんです」
 少女は人差し指でその涙を拭い、横に首を振って笑みを零した。
「……凄く、恐かったんです。――突然、法王様にこの城に連れてこられて、そして……」
 堰を切ったように話し始めた赤毛の少女の言葉に、エル・ランゼは少し眉を細め、真剣なお面持ちでその話に聞き入ることにした。
「教会の孤児院を出た私は、そのまま修道女として、神に御仕えするつもりでした。それが、身寄りのない私をここまで育ててくれた教団に対する唯一の恩返しだと思ったからです。ですから、法王様に直々に御指名があった日の夜は、興奮して中々寝付けませんでした。……でも、法王庁へ出向いたとたんに。――法王様は私に仰りました、これが神の御導きなのだと」
「都合のいい神様だな」
「ええ……。まさか自分が生け贄に選ばれるなとどは思いもよりませんでした。自分でも、おかしいのはわかっていたんです。でも、私には教会が全てでしたから」
 その話を聞いたエル・ランゼは、胸の奥から、えも言われぬ何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「そんな神様、捨てちまえッ!!! そして今日からはこのオレ様が、お前の神様だ。いずれ世界中がオレ様を神と崇める日がやってくる。まずはお前が最初の人間としてオレ様を崇めるのだ。そうしたら、オレ様がお前を『エル・ランゼ教』の法王にしてやる。まっ、それまでのメイド2号としての給金は、出世払いってとこだな。身を入れて奉公せえよ、ガハハハハハハハハッ!!!」
「はいッ!!」
 エル・ランゼのその言葉は、赤毛の少女の瞳に光を宿らせた。この時、少女の瞳には、この漆黒の魔人が本物の神の姿に映ったに違いなかった。
「ところで名前、何だったっけ?」
「……ル、ルフィアです」