第一章
      

  - 絆の花園 -

  By.Hikaru Inoue 


V






 エル・ランゼを帝国の選帝侯として迎え入れること提案し、諸侯を説き伏せたのは、現皇帝のノウエル叡知王、その人だった。
 ノウエル叡知王は、大同盟の中心的人物で、戦闘にこそ直接参加しなかったものの、皇帝としての最後の職務を大同盟という形で見事に達成させた。
 高齢にして病床の皇帝に、もはや他の選帝侯をまとめていくだけの力は残されてはいなかった。
 誰もが口にこそ出しはしなかったが、諸侯たちの頭の中には、すでに次の帝位のことで埋め尽くされていた。帝位継承ともなれば、選帝侯会議は必ず決裂し、帝国を二分する争いが起こるのは必須である。
 そして六人の選帝侯は、それぞれ三人づつノウエル叡知王派の親皇帝派と、レムローズ苛烈王派の反皇帝派の真っ二つに割れている。
 これではどちらも帝位を譲らず、過半数の賛成によって皇帝は選出されないまま、皇帝空位のままに、帝国は内戦へと突入してしまう。もう、魔王という外敵の脅威は消えたのだ。……最悪、帝国は崩壊し、三百余の諸侯が割拠する前時代の悪夢を再現することになる。
 そこでノウエル叡知王は苦肉の策として、選帝侯の椅子を一つ増やし、必ず選帝侯会議が過半数で可決するように計らった。選帝侯が七人になれば、どちらが皇帝を擁立しようとも必ず一方が選出させる。
 ノウエル叡知王としては、その新たな選帝侯など誰でも良かった。そこで、エル・ランゼに白羽の矢が立ったのである。
 エル・ランゼは魔族ではあるが、広大な領地を西大陸の魔王領に有し、今やその魔王勢力からも独立している。しかも彼はバルガ荒原の会戦の英雄であり、自身も帝国との同盟を望んでいる。選帝侯としての実力も十分にある。
 ノウエル叡知王の目論み通り、反対意見は少なく、選帝侯会議は新選帝侯エル・ランゼを五対一で承認した。ただ、彼にとって以外だったのが、親皇帝派の急先鋒であるはずのウィルハルト聖剣王の反対票だった。聖剣王は多くを語らなかったが、彼にとってそれは腹心に裏切られたような思いだった。

「おじいちゃま、お茶をお持ちしました」
 王宮の奥にあるその石作りの部屋には、天蓋付きのベットが置かれ、そこに一人の老人が横たわっていた。先の謁見で玉座の主として見せた賢者の威厳はなく、若い女の声に、咳払いをして徐に半身を起こした。
「ん、ごぼっ、……良く来てくれたね、レミル」
 レミルと呼ばれた金髪の少女はにこやかに微笑むと、白磁のティーセットをベット脇のテーブルに置いて、ティーカップに紅茶を注いだ。
「おかげんはいかがです?」
「ああ、お前が来てくれて急に良くなった気がするよ」
 そう言ってなみなみと紅茶が注がれたティカップを受け取ると、老人の顔から自然と笑みが零れてきた。紅茶はほどよく冷ましてあり、そこからも少女の気配りのほどが窺えた。
「レミルも今年で十六だね」
「はい、」
「美しく成長したね、お前の顔にはアリサの面影がある」
「お母さまの……」
 レミルの両親は、レミルがその顔を憶える以前に伝染病でこの世を去った。レミルの知る母親像は、この部屋に飾られた夫妻の肖像画のみである。
「アリサと同じ、いや、お前はもっと優しく、美しく育ってくれた」
 夫妻の死の直後、老人はすぐにレミルを引取り、まるで温室の薔薇を愛でるようにレミルを外界から隔離して育てた。ノウエル叡知王家の直系がレミルただ一人になった時、賢者はレミルの暗殺を恐れたのだ。暗殺の理由はいくらでもある。ノウエル叡知王家の繁栄を妬む者、その王位を狙う縁者、そして、次期帝位を狙う選帝侯。多感な少女期に自由を奪い、拘束することを承知で、それでも老人は賢者として、この選択を選んだ。それでも老人にとっての救いは、友人もなく、身内も老体を一つ残すのみとなった少女が、その明るさを失わないでいてくれたことだった。
 老人は自分の死と同時にノウエル王となるこの少女が、泥沼の内戦に巻き込まれることだけは、断じて避けねばならぬと、固くその胸に誓っていた。
 次の帝位など、誰が取ろうが構わない。例え悪魔がその地位に就くことになっても、この少女が醜い争いから守られるのであればそれで良かった。
 ノウエル叡知王として、その帝位に執着するより、叡知王は一人の老人として、レミルという少女を愛する道を選んだのだった。
 しかし、そんな老人を不安にさせたのが、この少女に信頼にたる腹心を残せないことにあった。
 息子のように信頼していたウィルハルト聖剣王の突然の反目。未だに次期帝位を強く望む、まとまりを見せぬノウエル叡知王家の家臣団。

 三十年間に渡る長い在位は、叡知王家を根幹から腐らせていた……。