第一章
      

  - 絆の花園 -

  By.Hikaru Inoue 


I






 人が時を数える術を得て、三千と十二年。
 世界が『魔』という、
 非科学的な超常の力に覆われておよそ千五百年後の世界。

 いつしか魔の大地と呼ばれるようになった、混沌の大陸『エグラート』。
 今日に至るまで、人は、大陸を越えた『果ての世界』に何があるかという問いの答えを未だ持つには至っていない。一度は迎えた大航海時代がこのエグラートという名の大陸の地図を描くも、大陸を越え航海に出た者は、外海に広がる『死海』に呑まれ、生きて戻る者の姿は一人もなかったと伝えられる。
 つまりこのエグラート大陸こそが、人という種に唯一生存を許された、限定された大地である。故に人はその大陸の東半分を網の目のように区切り、三百を超える多数の国家を形成した。
 まるで生命(いのち)の誕生がそれを義務付けられたかのように、果てしなく繰り返される『生存圏』を巡る人々の血塗れた戦いの歴史。限定された大地だからこそ、それ以上に増えすぎてしまった人口は、小麦を乗せた両天秤に釣り合うだけの数に間引かれなければならなかった。
 それでも、互いに憎み合う人間たちを強く団結させ、大陸の東側に『帝国』というゆるぎない秩序を維持させたのは、この大陸を二分するかのように西大陸にて強大な勢力を誇る、人類共通の脅威『魔王ディナス』の存在だった。
 この魔王の存在が、大陸における人類の生存圏をさらに窮屈にしているのは言うまでもない。銃すら生み出すに至らなかった混迷期の文明社会に、確かに『魔王』なる外敵は存在したのだ。
 まるでお伽話にも出てきそうな、そんな悪魔と人間の戦い。
 いや、あえてお伽話に準えるのなら『悪の魔王と正義の勇者』の戦いとでもしておこう。そんな人間にとって都合良い解釈の戦いが、現実として繰り返されていたのだから。
 そのことが、エグラート大陸を『魔の大地』と呼称させる所以の一つでもあった。
 人々はその強大な『悪』に立ち向かう為に、自らの小さな悪を圧し殺し、外敵に対峙する為の『力』を結束する。

 それが今日の帝国、
     『神聖レトレア帝国』
          を誕生させるに至った道筋である。

 ……だが、その三百余の国家を一つにした帝国というカタチも、この時代の転換点において、大きく揺らごうとしていた。
 エグラート大陸の中央、
 大陸を東西に隔てるかのように位置するバルガ荒原での、まさに『奇跡』と呼べる人間側の大勝利。

 ――大陸歴・三千十二年の初頭。
 人類と魔族という二つの勢力が互いの生存圏を賭け、バルガ荒原にて雌雄を決すべく両軍が一堂に会した。
 『総力戦』である。
 この時、魔王ディナスを中心とする百万の魔王軍に対し、人類は僅か三十万ばかりの大同盟で対峙する。その戦力差は三倍を超え、さらに質でも魔王軍は人類側を圧倒的していた。
 誰もが人類側の敗北を予感せずにはいられないその戦い。
 だが、その戦いに於いて、魔王軍四天王の筆頭である『夢魔伯爵エル・ランゼ』が、両軍の混戦の最中、魔王ディナスに対し、後詰めに控えた無傷の二十万の大軍を以て反旗を翻したのである。

  こうして『奇跡』は具現化された。

 まさに奇跡としか言い様のないこの人類の大勝利は、その夢魔伯爵、エル・ランゼ一人の演出によるものといっても過言ではない。
 しかも戦場で魔王ディナスが倒れるという、まるで絵物語にでも出てきそうな、そんな人類側にとって最高の勝利のカタチで戦いは幕を下ろしたのだ。
 ……この時初めて、魔王という名の脅威が『帝国』という枠組みの中で、いや人々の『心』のなかで消える。
 魔王という強大な外敵に人類が勝利したその時、『魔王に対峙する』という理由によって発生した帝国という枠組みは大きく揺らぎ、人々の心の中に存在する小さな悪は、胞子を飛ばす植物のように次々と弾け始めることとなる……。

  ―― そして、種は実を結び、やがて巨大な悪へと開花する。――

 その時、人は、勝利の美酒に酔い痴れていた。
 大陸歴・三千十二年の春。
 バルガ荒原の会戦の勝利に沸く人々は、今回の勝利の最大の立役者である夢魔伯爵エル・ランゼを、英雄として帝国の皇都レトレアへと招き入れる。
 彼が人類の味方であるという保障は、何処にもない。
 もっとも、帝国の諸侯たち自身、誰が敵で味方なのかという問いにさらされていたのだが。
 そして、不気味な夢魔伯爵の黒き一団『暗黒騎士団』が皇都レトレアに入京するその日を迎える。
 皇都は歓喜に沸き、帝国の名立たる諸侯が一斉にこの地へと集結する。
 ……魔の大地における勢力図は、明らかに塗り替えられようとしていた。

 そうして向かえた春は、この皇都レトレアに穏やかな春風を運んできた。